通っていた就労継続支援事業所が潰れかけたので逃げ出した話
↑これの続き。
辞めることにした
2024年春から、人事異動に報酬改定その他諸々で、事業所の羽振りと風向きが変わった。
事業所はたくさん仕事を取ってくると言っていたが、口だけに終わった。
新しい施設長はスタッフへの無茶振りとパワハラを繰り返し、疲弊したスタッフは次々辞めていった。
また、施設長は洗脳系ビジネスコンサルに傾倒し、日本語が通じなくなり、利用者全員にまで受講と"意識改革"を強いてきた。
私が戻ってきたかったかつての組織は失われ、事業所は絵に描いたような沈みゆく船と化していた。
命運を共にするほどの義理はもはやないので、早々に逃げ出すことにした。
自殺未遂をした
「辞めることにした」と簡潔に語ったが、辞める最大の理由は、私の自殺未遂だ。
施設長のパワハラの噂とその片鱗は、利用者である私にも届いていた。
虐待通報できる証拠を集め社会的制裁を与えたい、という義憤に駆られ闘志を燃やしていたが、ストレスに負けた。
調子が悪く休んだ日、スマホに届いた会議の通知が、私を決壊させた。
その通知は、会議の収録が何度も止められては再開される様を克明に伝えてきた。
なぜ収録を止めるのかというと、記録に残したくない何かを行っているからで、なおかつ、記録に残すとマズいと理解したうえでそれをやっているということだ——私はそのように解釈した。
今この瞬間、会議の場で何が行われているのかを、豊かに想像してしまった。
そのときに溜まっていた「辛いこと」は、
・田中敦子さんの訃報
・風呂れない4日目
・4杯目のコーヒーによるカフェイン酔い
の3つだった。
私が爆発するリミットは3なので、ギリギリで耐えていたところを小突かれた形になった。
そうして、ユニットバスの扉とフェイスタオルで首を吊ってしまった。10秒くらい。足を完全に外すことは叶わず、生還した。
施設長との関わりが、死にたくなるほど辛いなら、距離を取るのが道理であろう。そうパートナーと結論づけて、辞めることにした。
さてどうするか
辞めて、その後はどうするか。
生活保護は脱したい。SRSの貯金ができないからだ。いや逆か、貯金を形成した結果として生活保護が廃止になる。
障害年金は貰いたい。年金を凌駕するほどの収入が得られる能力が、自分に残っているとは思えないからだ。
就労支援A型か、障害者雇用か、がんばってフリーランスをやるかで身の振り方を考えている。
せっかく取った応用情報と、実務1年の経歴を活かしたいので、エンジニアとして働きたい。が、ソフトウェアに限らずモノづくりが好きなので、職種は手広く探していきたい。
障害者雇用の転職エージェントに登録してみたが、「THE・転職活動!」みたいなノリで来られたのでちょっとついていけそうにない。
まあ、しばらくはゆっくりしようと思う。飽きるまで休養して、また動こうと思う。
自分探し
最近読んだ『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』に載っていた、「好きなこと × 得意なこと × 大事なこと = 本当にやりたいこと」を見つけるやつをやってみている。
自己の客観視は相変わらず苦手なので、たぶんヌケモレがある。引き続き見つけていきたい。
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