私が見つけた小さな秋
夕食の買い物をしようと、いつもの近所のスーパーへいつものようにテクテクと歩いていくと、ふと、足元の赤い色が目に入り、立ち止まった。もしかして、これは紅葉しているの?
調べてみると、これはヒメツルソバ。確かに紅葉する草花だと書かれている。今はスマートフォンの写真からすぐに名前を調べることが出来る。便利になったものだ。
確か、夏頃にピンク色の小さなポンポンのような花を咲かせているのを見た覚えがある。おそらく、ここで暮らしているときにはたいてい見かけている。
秋になると紅葉するのか。おそらく毎年ここに自生している草花なのに、紅葉していることに気が付いたのは今年が初めてかもしれない。なんてかわいらしいんだろう。
ずん!と近づいてみる。幼い子供の目線。私は割と好き。ただし、周りからはおそらく「あの人、地面を撮ってる。変な人?」と思われているに違いない。
そう思うと少しばかり恥ずかしくなるので、そそくさと立ち去る。
だから、写真はピンぼけになっていることも多い。
ふと、あの有名な曲が思い浮かんだ。合唱部で秋になると必ず歌っていた、あの曲。
この物悲しいメロディと誰かが見つけた秋について、子供心に想像を膨らませたことを思い出した。
小学生の私は「ちいさい」秋を見つけるのはなかなか難しいと思っていた。金色のススキ野原や青い空の鱗雲。夕焼けや紅葉はスケールが大きくてちいさな秋とは言えない。小学生の私がかろうじてちいさな秋ではないか、と思っていたのは、みの虫と道路に散った金木犀の花だった。
金木犀の花はオレンジ色の花が咲いて、やがて散る。アスファルトに散った花は小さくて、いい香りがする。洋菓子の飾りのように可愛らしい。私はその花を手のひらに乗せて、これがちいさい秋のひとつなのかも知れないと思ったり、何か違うと思ったり。
サイズの話ではないはずだ。小学生の私は毎年秋になるとこの歌を歌い、ちいさな秋を探していた。
いつの間にか、この曲を歌わなくなり、聞くこともなくなってきた。そして、年月は流れ、秋は物悲しい季節ではなくハロウィンの仮装を楽しむ季節になった。
そんな時に出会った、ヒメツルソバの紅葉。これが私のちいさな秋だと直感した。こんなところにも秋が来ていることに気付く気持ち、それがちいさい秋なのかも知れない。
一緒に歩く夫は、この花の紅葉に気が付かないし、教えたとしてもなんとも思わないだろう。
でも、私は秋になると紅葉するヒメツルソバがとてもかわいい。愛おしくさえ感じる。この小さな命が季節に焦がれて赤く染まるだなんて。
遊びに興じる友達が気が付かないようなちいさな秋を見つける喜び。その秘密めいた喜びが私の心を秋色に染めた。ちいさい秋、みつけた。
見上げると夕焼け。よし、今夜は2尾で777円の秋刀魚を食べることにしよう。うんと秋を楽しまなくちゃ。