検察庁法改正から感じるリテラシーの懸念

※注意 この記事は検察庁法改正の賛否を問う記事ではありません


閲覧ありがとうございます。

政治の話ですが、右翼左翼といった論争する気はないので気楽に見ていただければと思います。

ただ法学部生とはいえ、専門的な知見からは相違点などもあるかと思いますので、あくまで客観的に読んでいただければと思います。


さて、連日、Twitterのホットワードとなっている

#検察庁法改正案に抗議します

というワード、多くの方がご存知だと思います。

そのワードだけはご存知だと思います。


私は、これが非常に怖いことであると感じるのです。

勿論、しっかり調べた上で賛成・反対を述べている方も多くいます。しかし、Twitterのトレンドを見る限りはそうでもない人の方が多いのは事実なのです。(当然、興味のない方も)

確かに、検察庁法改正案には、改悪と叫ぶ人が多くいるように問題点もあります。

賛成か反対かは人それぞれの考え方ですし、国民主権を掲げる日本では当然に国民全員が議論する権利があります。

理屈上は、詳細を何も知らなくても意見するのは間違ったことではありません。


しかし、何も調べずに賛成・反対を決めてしまうのはどれほど怖いことでしょうか。

ざっと3つほど怖い点があります。

①世論操作がまかり通ってしまう

②マイノリティの無視

③民主主義とは何なのか

①世論操作がまかり通ってしまう

さて、今回のハッシュタグ、多くの芸能人の方がツイートしていることが盛り上がりの一因となっています。

芸能人は良くも悪くも影響力があります。

芸能人も当然国民ですから、無知で政治発言しても何ら問題はありません。


ですが、その影響力を鵜呑みにしてしまうことはとても怖いことです。

正直、今の政界やマスコミの状況を見ていたら何をするか分からないです。

中国の工作員が紛れ込んでるなんて都市伝説もあります。

影響力のある芸能人に頼んで情報を拡散させることだってできるわけですよね。


実際に今回のハッシュタグについてこんな記事があります。(https://snjpn.net/archives/196851)

ざっと要約すると、「実際にハッシュタグを付けてツイートしてくれという依頼があった」ということです。

※注意したいのは政界やマスコミからの圧力だけでなく、ファンなどの一般人からの依頼の可能性もある点です。


簡単に情報を享受してしまった結果、それが「民意」となってしまうケースだって考えられるわけです。一応これも民主主義ってことになりますが。

投票率からもわかるように日本の若年層は政治に関心が薄いです。

これを利用して、恐ろしい情報工作をする可能性、いや既にされてる可能性もあるのです。


じゃあ詳しい人が訂正すればいいんじゃないの?ということになりますよね。

そこで②にいきます。


②マイノリティの無視

今回のハッシュタグを例に挙げます。

「検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグやニュースを覗いてみると、一番目立つのは「三権分立を脅かす」という問題点です。

検察庁のトップが内閣の意向で定年を延長できるので、確かにそう捉えられなくはないです。

では、検察庁のトップって内閣の任命で決まりますけど三権分立に違反するんですか?

(わかりやすいので例に挙げましたが、実際は公訴権の独占の関係で問題はあります。)

という反論があった場合、ハッシュタグを少し見ただけの反対派は賛成派になるのでしょうか。


答えは人それぞれです。

なんとなくそれは違うと思って反対派のままの人もいれば、納得して賛成派になる人もいます。


ただ、そもそも賛成意見まで理解している人はしっかり調べてますよね。

少し脱線してしまいました。

何が言いたいかと言いますと、表面上のハッシュタグのみを見ただけの人は、賛成意見にすらたどり着けません。

抗議するハッシュタグに賛成意見なんて載ってませんよね。(下部までスクロールすればあるかもしれないですが、関心のない人がしますか?)

詳細まで調べないことで、少数意見は迫害されます。


先ほどの例に戻りますが、もし何らかの偶然で「検察庁のトップは内閣に任命される」という事実にたどり着け、賛成派になったとします。

ですが、それだけでは「検察の公訴権の独立性」という問題点にはたどり着けません。


ここまでをまとめると、

詳細を調べないことで、知らず知らずのうちに自分の真意とは逆の意見を述べてしまう可能性があるのです。


極端に言えば、1億円払えと言われて払う気がなくても「はい」と言ってしまった以上は取り返しがつきません。

(民法上では錯誤?勘のいいガキは嫌いですが1例なのでお気にせず)



もう一つだけ例を挙げます。

もし今回のハッシュタグとは逆の「検察庁法改正案に賛成します」というものがあったとします。

当然、これをちょっと見た人は賛成派に傾く訳です。

賛成のハッシュタグには、当然反対意見など書かれていないのですから。

もし今、ハッシュタグを少し見て改正案に反対している方がいるとします。

では、その立場と逆のハッシュタグが蔓延していても尚、その立場を維持できますか?


②をまとめます。

確かに、何も知らなくたって発言してもいいんです。

でも、しっかり調べない上での発言は自分が思いもしない立場であるかもしれません。

ですが、

「NO」を「YES」と言いたい人が果たしているのでしょうか?

「YES」を「NO」と言いたい人がいるのでしょうか?


もしいるならば、私から特に言うことはありません。


長くなってしまいましたが最後に全体のまとめです。

③民主主義とは何なのか

国民が主権を持ち、自分達のために政治を行うことです。

何度も言いますが、調べずに発言しても民主主義に違反している訳では無いです。

支離滅裂な意見を述べるのは民主主義に違反している訳では無いです。


権利を行使するのはいいことですが、併せて責任は持たなくていいのですか。

自分の発信した意見が意に反するものだった場合、その責任は持てるのですか。


改正案の賛否については人それぞれですし、今回に限ったことではありません。

ですが、その過程に重要な懸念があるのではないでしょうか。

責任を持つ?面倒と思ってしまう人もいると思います。

そういう人たちが積極的に政治参加できる環境を願いつつも、発言しない責任も感じて欲しいと思います。

自分の国は主権者が護る「民主主義国家」になることを願って、この辺りで筆を置かせて頂きます。

長文お付き合い頂きありがとうございました

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