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業界の住人となったとたん、書きたいことが急になくなった?

オードリー若林のエッセイコラム集「ナナメの夕暮れ」は僕が愛読する本の一冊である。もともとリトルトゥース(ファンの通称)として読み始めたわけではない。何か面白い本はないかと友人に訪ねた時に、たまたまお勧めされて読むことになったのだ。若林が幼いから持ち続けてきた日常の疑問に対して自分の考えを述べたコラム集なのだが、それぞれの話の視点が独特で天才的に面白い。読んで「いやいや(笑)」と思うことや、「確かに」と思っても素直に言語化するのが難しいことばかり。要は、変態なのだ。つい最近、15歳年下の看護師と結婚…。「おっ?」と思う人がいたかもしれないが、僕的には称賛・お祝いの嵐である。

そんな若林は、コラム集が書籍化される前にある雑誌で連載を続けていたわけだが、ある時自分から休載をお願いした時を振り返り、本の中でこう述べている。

「社会という場所に引っ越してきたばかりの頃は、見るもの全てに驚き、書きたいことが常に胸の中に溢れていた。でも、社会の住人となったとたん、書きたいことが急になくなり、びっくりすることを自ら探しにいっていた。そりゃ、何時間も見つからないわけだ。探しているということは、びっくりしてないんだもん。」(一部抜粋)

先週末、家族で買い物に行き、ある中華料理屋でランチを取った時のことである。すぐ近くのテーブルで、年齢は中学生か高校生くらいだろうか、少年少女たちが運ばれてきた料理を前に「うわぁ~すごい!美味しそう!」と目をまんまるに輝かせていた。かたや、料理を食べて美味しいと話しながらも特に驚くことはなく、「前に行った〇〇(店名)の方が美味しい」とこれまでの経験が出てきてしまう僕ら大人たち。そりゃ、親に「何食べたい?」と聞かれて「並ばないところ」と答えるわけだ。社会に出てあれこれ食べ過ぎて、すっかり食に対する感動のキャパがなくなっている。

大人になるとは実に怖いものだ。経験が邪魔をして、無知ゆえの純真さを失わせてしまう。特に次々と情報が入ってくるインターネット社会では、自ら意識して新鮮さが得られる環境を作り、無意識にそれが得られるようにならなければ、何の変化もない日常がただ過ぎていくことになる。あぁ、ちょっと前は書きたいことが不思議と頭に浮かんですらすら書けたのに。以前に比べると、文体の棘もほとんど抜け落ちてしまった。そんなことを考えながら、毎日の暗号資産・ブロックチェーン業界の調査業務にあたり、業界に関して次に何か書きたいことを探している。

そりゃ、何時間も見つからないわけだ。探しているということは、びっくりしてないんだもん。


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