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"枠"外が生む波及的価値

貸し切るのに一体いくらかかったんだろうと頭の中で0を数えだす程に豪勢な会場、お揃いのロゴTシャツを着た何人ものスタッフ、フロアの隅に立ち並ぶスポンサー出展ブース、ゲストカードを首に下げながらあちこちで立ち話をしている業界人、そして暗がりの中で光を独占し皆の注目を一点に集める登壇スペース。あぁ、懐かしい。去年ヨーロッパでわけもわからぬまま参加したいくつかのイベントが自然と想起される。以下に述べるのは、そんな業界イベントのステージ上のやり取りを見ながらふと思ったことだ。

街を歩いていて偶然知人を見かけた時、なんだか嬉しい気持ちになる。じゃあね、と別れた後もその余韻で相手のことをしばらく考え、再び連絡を取り合って「今度久しぶりに飲みに行こうよ」なんて会話に発展したりする。本屋でたまたま手に取った小説が面白かった時、心が温まると同時に、同じ作家の本をまた読んでみようという気になる。さらに次も面白ければ、自分の中で好きな作家がまた一人増える。生放送のラジオを聴いている時、その時のパーソナリティの思いつきやリスナーの質問で内容が如何様にも変わっていく為、不思議とワクワクする。

一方で、予め決められた仲良い友人との約束や良く知っている作家の本、台本通りに進行するテレビ番組などは、それ自体の面白さはあっても、副次的な現象・効果を生み出す可能性は低い。その理由は、「予想」「形式」「ルール」どんな言葉でも良いが、ある種の”枠”を越えないからだ。今回イベントのステージ上で行われた会話を見ると、登壇者一人一人が話す内容はどれも興味深いものばかりであったが、流れとして見た時には多くが、モデレーターを中心とするQ&A形式中心で、いわゆる”台本通り”であった。中には、登壇者同士で自然発生的に議論が盛り上がる、生らしい回もあったが、それもほんの一部であった。

今週パリで開かれたイッセイミヤケの2020/SSファッションショーが、従来のランウェイの概念を覆し、一つの飾られたショーであったと話題を集めた。アートの世界を引き合いに出すのはどうかと言われるかもしれないが、これからの時代は分野を問わず社会全体的に”枠”を脱したものがより一層求められる気がしている。それは金融システムや法律云々の話ではなく、偶発的な人・モノとの繋がりであったり、情報・コンテンツのライブ感であったり、もっと身近な話だ。レールが敷かれた人生と同様に、フォーマットが固定化されたものは、一定の面白さがあって安定していても、目新しい発見はほとんどないのである。

このように、暗号資産・ブロックチェーンのイベントに足を運びながら業界と全く関係ないことを考えていたわけだが、それぞれ話を聞いていなかったわけではないので、そこは勘違いの無いよう。「b.tokyo」は国内業界の盛り上がりを感じるとともに、その明るい未来がぼんやりと思い浮かぶ良いイベントだった。運営の方々、お疲れ様でした。

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