先生に伝えたい〜道徳の授業に関して中学生が思うこと〜
偉そうなタイトルつけてますが、私はただの中学生です。(そろそろ高校生)
先に断っておきます。今回の私の記事には差別的な表現が出てきます。ごめんなさい。
とにかく上から目線です。
子供がぎゃーぎゃー言ってるな、ぐらいで読んでください。
①最近の中学校の道徳
一言で言うと、前と比べて
授業数がものすごく増えました。
小学校低学年から中学年の時は、参観日でちょこっとやるぐらいだったと思うんですよね。
教科書というよりも、読み物という形で資料が渡されていたと思います。
小学校6年生(3年前)は、月に一回か、学期ごとに一回か...ぐらいでした。
特別な教科、と言う認識でした。
中学校に入学してから、突然、毎週必ず1時間、授業が入るようになりました。(公立の中学校です)
教科書も配られました。
評価もつけられます。
(評定として5段階では出てきません)
まぁ評価に関してもいろいろと言いたいことはあえうのですが、今回は割愛。
難しいことはよくわかりませんが、おそらく学習指導要領(?)が大きく変わったんでしょうね。
道徳って「勉強」であり「教科」だったんだ......
特別活動だと思ってました。
②ローテーション授業について
私の学校ではローテーション方式で授業が行われています。
全体の約半分の授業を担任の先生が、残りの授業を学年の先生方が交代で、というシステムです。
いろんな先生がいます。
いろんな授業があります。
問題とされている事柄がすっと頭に入ってきて、
なるほど!そんな見方があるのか!
と思う授業もあれば。
え、時間余ってますけど?
感想書くことないやん...
と思う授業もあります。
先生によって全然違います。
授業スタイルも、話のまとめ方も。
先生によって結構差があるんですよね。
正直、先生次第です。
私たちがその話を自分に関係のある事として考えられるか、どこか知らない世界の事だと、記憶から消えていくか。
まあ単元によって当たり外れもある気がしますが。
私の感覚では、差別、戦争、国際支援、震災体験、インターネットトラブルなど、そのあたりの授業はみんなの頭に残ってました。
残らなかったのは、自然、エコ、環境問題、ボランティア活動、文化継承...ですね。
楽しい授業にするのが難しい話題たちです。
③答えはないっていうけれど......
「印象に残った」授業直後の休み時間や、帰り道に、授業であがった話題について議論する声がよく聞こえました。
もちろんですけど、授業中よりもいろんな意見が出ます。
先生やみんなの前では言いにくかったのであろう意見だとか、うまく言語化できない思いだとか。
でも、こんな声も聞こえます。
「言おうと思ったけどさ、先生が求めてる意見と明らかに違うねんもん」
道徳は答えがない授業ってよく先生言いません?
これってどうですか?
先生が「正解」な意見を出してもらうために授業展開した結果だと思うんです。
(上からでごめんなさい)
先生の言って欲しかった意見だけ黒板に書く。
「なんか違う」意見が出たらスルーして次へ。
ありがちな事です。あってはいけないけれど。
特に二つ目。
スルーするぐらいなら、とことんその子の意見聞いた上で、「正解」の考えを教えてあげたらいいのに、と思います。
それが正しいとは思いませんけど。
スルーよりはマシです。
だって私たち(生徒)も気が付きますもん。
あ、これ先生が言ってほしいことじゃない、って。
生徒に意見を言わせる授業にしてませんか。
全員の意見を受け止めてますか。
中途半端に私たちの考えを「正しい」と言われる方向に傾けないでください。
④差別問題に関する授業について
私の住んでいる地域はニュータウンなので、核家族世帯がとても多いです。
祖父母と住んでいる人が少数だと思います。
何が言いたいか。
部落差別?なんじゃそりゃ。
私たちのほとんどがその状態でした。
そんな話今まで聞いたことないし、身近にあるものでもない。
そんな私たちにですよ。突然そんな話題を持ってきて、何が起こったかと言うと。
(中学校の最初の頃のお話)
パシリにされてる友達に向かって「おい!えた!」
と、声をかける。
いじられキャラの人が自分で「俺、ひにんだから」
と、言って笑いを取ろうとする。
当時のクラスで、違和感を感じている人は私だけではもちろんありませんでした。
先生もかなりキツめに指導していました。
でも、きっと、その人たちは分かっていなかっただけだと思うんです。
その言葉がNGなことと、その理由。
その次の週の道徳から、しばらく差別問題に関する話題が続きました。(学年全体で)
まず初めに部落差別の歴史から学び(かなり深い所まで)、ほとんど無くなったが今でも残っている、ということを時間をかけて知りました。
学習を進めていく中で、自然と、日常生活で差別用語が聞こえることは無くなりました。
ここで浮かび上がる考え。
差別問題を知らない私たちが、わざわざ学ぶ必要はあったのか。逆効果だったのでは。
このことについて友達とかなりの時間話し合いました。
結論としては、
学ぶべき。でも中途半端ではいけない。
親戚が集まった時にこんな会話がありました。
A「◯◯さん結婚するねんてー」
B「よかったやん!」
A「でも相手が△△部落の人らしくてさ」
B「うわ、まじか。結婚やめた方がよさそうやな」
私「なんで?それ、昔の話でしょ?」
B「いや、やっぱり△△部落出身の人は怖いよ」
まだまだ大人の中にはこんな考えの人もいるんだってその時初めて知りました。
もし私が、部落差別問題について知らなかったら、
なんの根拠もないのに、「△△部落の人とは関わらない方がいいんだ」と思い込んでしまっていたかもしれません。
学校で教えてもらっていてよかったです。本当に。
差別問題は、扱いにくいテーマなのでしょう。
でも、避けてはいけない問題だとこの時実感しました。
まとめ
かなり長い記事になってしまいました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
道徳の授業は本当に大切だと思っていますし、授業数が増えたことは良いことだと考えています。
考えが柔軟な子どもの間に、さまざまな事柄を多角的な視点で捉えるということは、人格形成という意味でも大きな役割を果たすと思います。
だからこそ、先生方に伝えたい。
私たちの大切な学びの機会を、無駄にしないでください。
少しでも、心に残るような授業を考えて欲しいです。
以上、超超超超超超超超上から目線で中学生が書いた記事でした。
先生、毎日私たちのためにありがとうございます。
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