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100人規模のシェアハウスに住んだ話をする

わたしは2022年の夏から一年間強、100人超えの人数が集うシェアハウスで生活した。住人は20代前半〜30代後半まで幅広く、ほとんどが社会人。家に帰れば必ず誰かに会い、お酒を飲めば飲み会もどきが始まり、パーティも旅行も有志でやる。賑やかで豊かな住まいだった。

と言うと、ものすごいパリピが集まってるんじゃないかと想像する方もいらっしゃるかもしれないがそんな事はない。

結論から言うと、「わたしはパリピ "役" はできるけどたぶんそれ、好きじゃないな」と気付いたことが、この経験から得たもののひとつだった。


今回は大まかに当時の振り返りと、そこで得た人生の進歩について書こうと思う。


シェアハウスに住んだ理由

親離れをしなければ、と思った

つまりは一人暮らしをしなければ、と思った。
実家が都内にあって兄弟もなし、どちらかといえば家族も仲が良いし住居環境も申し分ないので、普通に考えて家を出る理由がなかった。でもなんか「甘えてるんじゃないか」って気はずっとしてた。

会社の同期は遠くから上京して仕事終わりにご飯を作っているとか、家賃がどうとかで話題持ちきり。わたしも家事が嫌いなわけではなくむしろ掃除は好きなんだけど、現実的な生活力に圧倒的な差があることは明確だった。

それに、若いとはいえ何となく「アラサーたるもの一人で暮らさなければならない」という呪縛があった。
このままだとやばいのかなー、と漠然と思ってた。25歳まで。

今考えればそんなことないんだろうけどね。

洗濯機とか、デカい家電の厄介さ

とはいえ初めて一人暮らしをするとなると、普通にかかる初期費用のほかに洗濯機やら冷蔵庫やら、デカい家電を買わなくちゃいけない。
その出費をヒヨったのもメンテし続ける度胸がなかったのもあり、「洗濯機が共同で使えてハウスキーパーさんが定期的に掃除をしてくれる」システムは画期的に見えた。

実際、このシステムは神がかっていた。
冷蔵庫は諸事情で一人一台は買った方がいい(ほとんど住人全員買っていた)ので買ったけど、洗濯機もシンクの掃除もしなくていいのは最強だった(うちの物件では最低限の片付けさえすれば、細かい掃除はシンクもキッチンも全てハウスキーパーさんがやってくれた)。

これは、さりげないことながら後にも先にもすごい経験だったと思う。

プライベート空間が守られる住居

キッチンとリビング(大きめテレビとソファ)、ワークスペース、洗濯機スペース、ゴミ置き場は共同で、トイレとシャワールームを含む基本的な水回りはそれぞれの自室に完備されていた。各自室に行くのも共同スペースをほとんど通らずに行けるため、ほとんどマンションと変わらない。

だから、どうしても人と会いたくない時はUberでもして部屋に引きこもっていれば最低限の生活ができるし、幸い防音性も高かったので隣の部屋の音が聞こえるストレスもなかった。これは本当にありがたかった。本当に。

失った大金 < 得た経験の大きさ

あたたかくも頼もしい愉快な住人たち

今だからこそ思うが、わたしはどう考えても生活力がなかった。そもそも食に興味が薄いわりに、ストレスに弱く暴飲暴食もしがちだった正社員時代は、体の中がまあまあなペースで老化したと思う。

そんな生活力の無さを、先住人たち "暮らしの先輩" がカバーしてくれた場面は少なくなかった。

たとえば珍しく料理でもしようと、旬の野菜を使った "ナスの揚げ浸し" なるものを作ろうと意気込んでキッチンに立つわたしに「見てて危なすぎる。代わるからそれ洗ってて」と代わってくれた先輩さん。
まあ確かに高すぎる油温度の中に水分をよく切っていないナスを放り投げて入れていて、そのたびにキャーキャー喚いていたのだから仕方がない。それでもここで、わたしは「正しい油の温度について」と「ナスは水切りをしてから油に入れるべき」ということを学んだのだ。

本当に何気ない日常なんだけど、こういうことがたくさんあって、わたしは本当にいろんな先輩にいろんなことを教わった。

あと、後述するが、色んな人生を生きた人たちと、たくさん、近くで触れ合えた。性格の合う合わない共感できるできないの次元ではなく、「そういう生き方もあるんだね」と勉強させてもらえるような住人たちと、一つ屋根の下で過ごせた経験は貴重だった。

数年ぶりに取り戻したいわゆるな青春

わたしの学生時代に陽キャの文字はなかった。何か団体を作ってコンテストに出るとか、ダンスとかスポーツとか、皆で何かを立ち上げるとか、コールが必須の飲み会とかといった、いわゆるなやつだ。中学では勉強と部活で忙しく、高校では美大予備校に精を出し、大学では制作や卒論に没頭した。

美大にはサークルが殆どない。あってもバスケとかバレーボールとか、球技センスが壊滅的なわたしとは縁遠い集まりがほんの少し。バスケサークルの派手な飲み会に混じることはよくあったが、下宿している友人の家で飲み続けるごく普通のやつだった。

GMARCHへ編入してサークルには入ったものの、いわゆるな「飲みサー」のわりには漏れなく全員お酒に弱く、そんなに派手なやつではなかった。どちらかというと、まともにサークルの主旨を遂行するほうの団体だったと思う。
つまりは、まあまあ真面目に学生らしい学生をやってきた。

そのまま社会人になり、会社やシェアハウスでの「これが大学生がよくやるコールというやつか」という感じの飲み方にはおったまげつつも、なんとなく楽しくて全面的に参加した。
学生時代よりも圧倒的にお酒に強い人間が周りに多く、羽目を外したときもなかったではないが、ある意味「あんまりやってこなかった青春の延長線 <一般大学の強いサークルver.> 」を楽しんでいた。

旅行とかスキーとか釣りとか、みんなでどこかに行くのも楽しかった。
家という絶好の飲み場所がありつつ、あえて外に飲みに行くのも、カラオケでオールするのも、新しい趣味を教えてくれたのも、最高に楽しかった。

それがお腹いっぱいになり始めたのが、住んで一年ほど経った頃だ。

"自分について" を鳥の目で俯瞰する

住んでた自分が言うのもなんだけど、そのシェアハウスはまあまあな価格帯だった。「その値段出せばもうちょっと良い部屋住めると思うよ」と誰もがツッコみたくなるような、めちゃめちゃ狭い自室の割に、いつも全部屋がほぼ満室の人気物件だった。新卒2年目の割にはちょっと頑張って住んだくらいだ。

新卒2年目の新米といえど、家賃と住所が同じとなると、それなりに社会的ステータスや生活スタイル、趣味嗜好の何らかが似たり寄ったりの人間が集まるものだ。もちろん上と下の年齢差は10歳以上あったし、社会経験も性格も全然違うし、中にはよくわかんない仕事をしてバカスカ稼いでるすごい人もたくさんいたけれど、みんな、お酒を飲めばバカで、とんちんかんで、結局は同じ人間で、そのことが本当に愛らしかった。今思えば、いや今じゃなくてもバカ騒ぎとしか言えない夜でも、無性に愛おしい時間だった。


そんな中、わたしは "この仲間たちを、ざっくりとした社会ステータスが同じ人たちとして自分も入れて分類分けしたときに、わたしは本当にこの仲間たちに属しているんだろうか" と疑問を感じ始めた。
SEKAI NO OWARIの『Habit』が流れてきそうな言い回しではあるんだけど、どうしてもそうやって "自分を含めた、小さなコミュニティにおけるわたしって?" を考えないわけにはいかなかったのだ。

そうして何ヶ月か騒ぎながら考えて導き出した解は、「いや、ここじゃない」だった。ここじゃない、というより、そうじゃない。わたしの生き方ってそうじゃない、という感じ。
わたしは誰かと過ごす夜よりも、仕事や趣味をマイペースに一人でやっていたい人間だった。楽しくて愛おしい夜が、知らず知らずのうちに、自分のひとりの時間を減らしていることに長い間気付かなかった。

ネガティヴっぽくなってしまったけど、「人生の先輩たちの人生観を一緒に生活してたくさん吸収して、それを資料にわたしなりの生き方を見つけた」に近いんだと思う。
だから、必要な時間だったんだ。間違いなく。

住居の外に居場所を見つけ、退居へ

わたしは結局、自分が静かに弱くなれる場所を次の住居に選んだ。
実家のことだ。いつまでも自分が子供でいて、そしてほんとは子供でも何でもない、温かくもこそばゆい気持ちになる住居に移動した。

「誰だって同じ、居場所なんてない。」と言ったのは誰だったか、オードリー・ヘップバーンだったか。でもわたしは居場所はいつもどこかにあって、人生とともに移りゆくものに過ぎないのだと考えている。

もしかしたら、今いるこの温かい実家も出るべきときが来るのかもしれないけど。それは、居場所が消えたんじゃない、"居るべき場所" が変わっただけなんだと思う。

実家に移り住んでからもうすぐで半年。引っ越してからも飲み歩いて心配されまくった両親に門限を課せられたり、実家の犬をお風呂に入れまくったせいで嫌われ始めたりと、良くも悪くも落ち着かない日常だけど、今のところ幸せだ。
ずっと、なんだかんだ幸せだ、と言えるのは、本当に幸せなことだ。

それにしてもナスの揚げ浸しは美味しかったな。


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