【自分の限界】ってそんなに大事?

1つ、投稿の前置きとして少し補足する。今回の投稿の発信は、本人の目に触れることはきっと無い。そして、決して悪く言っているつもりは無いことを前提に発信したい。大切な友達の1人の話。あくまで持論として、一緒に幸せに生きたい気持ちである。数年前までは、互いの愚痴や将来への不安を共有することが多かった。会って話す内容は、共感や相談がメインだった。それが、最近では、共感や相談と言うよりは、私が彼女の愚痴や不満を聞く側になったと思う。私が話をメインですることは、相変わらずありのままの笑い話や、自分の選択を肯定するための持論がほとんどである。相談したところで、何となく自分次第だからっていう気持ちが芽生えたが故、今の様な関係性になったと思っている。
そんな友達の話を今回発信する理由は、個人的に見て、とても生きづらそうだと思うからである。私が直接的な持論を話したところで、彼女の意思は強いので今は特に話す必要はないかなと思っている。ただ、似たような感覚を持って今を生きている人達に向けてみたら、私の持論が少しは視野を広げるための材料になればいいなと思う気持ちがある。そのため、今回発信しようと思った。

そんな彼女はと遊ぶのは、基本的には私の仕事帰り、夜ご飯を一緒に食べることがほとんどである。私の通勤経路が彼女の最寄り駅と同じなことや、どちらかと言うと私が、彼女と夜ご飯を一緒に食べたい気持ちが強いからである。更に、彼女は、とにかくいつも疲れているように見える。仕事終わりなら尚更だ。かと言って、土日の長時間の予定は、私が合わせにくいタイプだ。時間の使い方も全然違うので、お互い無理のない範囲で会えるタイミングを調整している。
とは言うものの、会えば会う程に愚痴が多いなっと思うようなったのはいつからだろうか。好きな人と結婚して幸せだと思っていたのに、仕事と旦那の愚痴や不満、先々についての不安が延々と出てくる。正直別に、聞く分には一向に構わないし、むしろいっぱい聞きたいと思う。大切な友達な訳だし、誰だって色んなこと思いながら生きているのだ。私が捌け口になって彼女の気が晴れるのなら、それがいいと思っている。しかし、聞けば毎回似たような話ばかりだ。私から見ると、体力面と精神面共に基本的に不調であり、且つ、金銭面においても、とにかくネガティブな状況に見えて仕方ない。そして、言っていることが矛盾しているのでは?と感じることが増えたのも正直なところ。無理な我慢をしている自覚が、きっと無いのも伝わる。愚痴の内容は変わらない上に、本人の言い分は基本的に「私は精一杯頑張っているのに!言いたいこと言う時もあるけど、我慢もそれなりにしてるのに!この先私は、もうこれ以上出来ないよ。私と同じこと、やれるもんならやってみな!」と言うのだ。その上「本当は、あれがしたい、これがしたい、あれが欲しい、これが好き。」また、旦那の行動にストレスを抱えている点については、直接言うと雰囲気が悪くなるから言わないらしく、改善されないから余計にイライラする。仕事の愚痴に関しても、上司のことを上から目線で愚痴ることしかしない。会社自体の文句も多いし、長い間ずっと嫌だと思い続けているだけで、改善に向けた具体的な行動を聞いたこともあまり無い。既に自らが諦めている感じに見えるし、会社や上司に対しても常に呆れている。

彼女の【強い意思】を具体的に私の感覚で説明してみると、叶えたいことは沢山あるはずなのに、【自分の限界】を常に主張している。そして、(自分は限界まで頑張っているのに)やりたいことが出来ない、叶えられないと弱音を吐いては他人や自分が選んだ環境に対しての愚痴になるのだ。更に、(自分は限界だと主張するのに)周りの人間に対しては、「もっとあれが出来るはず。なんでこんなことも出来ないの?相手がこうだったら私は楽なのに。イライラしなくていいのに。」みたいな自分本位&他人任せ、他人が悪い、みたいな発言になる。正直、聞いていてあまり気分のいいものでは無い。自分で選択して今があるはずなのに、選択した自分に対する擁護ばかりでは無いか。自分で選択したからこそ、自分の限界をいくらでも越えて自信に変えたり、やるだけやって満足したなら新たな道を考えるなど、自分が満足して生きる術がきっとあるのでは?と思ってしまう。会社を選んだこと、嫌でも辞めないで続ける選択をしていること、旦那さんと結婚したこと。7,8年の仲だからこそ分かる彼女の生き方は、彼女の中の何かを『天秤にかけた結果、今に繋がる選択をした』ように私は見える。それでも、彼女自身が納得していて幸せだよって言うのだけど、何かと不満や不安が多いのだから疑問に思ってしまう。「我慢もしてるけどしてないよ!」って言う矛盾を自信満々に言っていたくらいだから、彼女の中では満足しているのかもしれない。しかし、私にはやっぱり理解は出来ないのが本音である。
理解出来なくても友達には代わりは無いし、出来ることなら、一緒に胸張って幸せな人生を歩きたい。愚痴や文句、不満や不安ではなく、もっとポジティブで幸せな話がしたい。そんな楽しい時間を共有したい。こんなことを考えるのも、きっと私自身が沢山変化しているからだろう。前回の投稿内容とも重なるが、言っても結局他人である。私の希望を叶えたいのならば私次第で叶えるまでだし、彼女の幸せの価値観も彼女次第であることは間違いない。それでも私は、【自分の限界】を主張し続けてばかりでは、それ以上の自己成長があるのだろうか?と疑問に思う。しかも、本来叶えたいのであろう話は尽きないのに、本当にそれが幸せなのかな?大好きな人と結婚して生活しているはずなのに、言いたいことを我慢している自分の独りよがりでストレス募って。
とっても生きづらそうと思うのは、あくまで私の印象なのだ。幸せの価値観だって人それぞれ。それなのに、一緒に幸せになりたい!と言っている私もまた、持論を強要しているみたいに見えるだろうか?なんてことを考えながら、いつか、彼女に直接話がしたいなと思うところである。


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