読書について

── わたしは読書ほどのよろこびを知らないが、ほとんど本を読まない。書物は夢への導入である、しかしごく自然と日常より夢と交われる人間には必要ない。わたしは心の底から夢中になって本を読めた試しがない。 知性や想像力が絶えずコメントして、物語の筋を折ってしまう。いつの間にか本を書いているのは自分になり、しかもその書物は何処にも存在しない。
 面白いと思う数行に触発されて、はたと頁をめくる手が止まる。書物の両端を掴んだまま、向き合う姿勢は崩さず、硬直を保ち、視線がほんの少し上に逸れる。間抜けっぽく、口が少し開いている。一本の糸が分岐して複数になり、想念が宙を駆けるが、やがて平生を取り戻し、視線も元の位置に戻る。数分の間、あれほど熱中させた諸々の思弁は、忘却の海にさらわれたかと思えば、ふと波が寄せて、消失していた記憶が浜辺に戻る。形を掴み次第、箇条書きにメモを取ろうとするが、考えるうちに、何処までが自分で、どれが書物の言葉なのか、区別がつかなくなる。
 意見を述べるつもりが、知らぬ間に本の引用をしていた、そんなことも少なくない。確かに書いてあると思った内容が、実際に開けど該当する記述もなく、ただ頁の空白に書き込まれた感想に類似した指摘を見出すのみであったこともある。かつて熱中して、今は筋書きも朧げな小説も、知らぬ間に言葉の節々に染み付いてるかもしれない。
 書物は誘惑の場である、とフーコーは書いた。大きな図書館に聳え立つ本棚を眺めれば、読みたかったが開くことのなかった、あるいは名前だけ知っていたものの、見かけることもなかった本が並べられている。ずしりとした重みに微笑をもらし、二、三頁はらりと流して、期待通りの面白さが綴られていれば、胸を躍らせる。結局、元々読むつもりだったものは開くことなく、行きずりの読書に身を委ねたまま、閉館の時間を迎える。軽薄な男が、街を行き交う美女にうっとりして、全員を抱けない無力さを悔やむように、これ程の名作があるのに、一生かけても読み尽くせないという事実は、嫉妬にも似た苛立ちを覚えさせ、喘ぎに似たため息を洩らす幸福な悩みに頭を掻きながら、図書館を去る。
 SNSの話題がのぼらない会話が珍しくなって久しい。気に入った投稿が、そのままひとの発話の仕方や、語り口を形成している。知らず知らずのうちに、顔も知らないユーザーの投稿を口真似て、自分の言葉のように語り出す。あるいは、SNSに熱中するユーザーの多くは、別人になりたいがために、好んで他に引用されそうな言葉を語りたがる、そのため紋切型が蔓延するのかもしれない。書くという行為に変身願望が込められていることは明らかであり、フローベールは「最早自分でなくなる」恍惚を執筆に見出していた。没頭するにつれ、役者めいた振る舞いをするより前を忘れてしまい、観客に対して演じる自分こそが本物で、日常生活がむしろ偽りなのだと考える。あるいは、仮面を被っていた時間が長いため、鏡に映る素顔が自分のものと思えない、なんてこともあるだろう。
 観客を持たないまま引用を待つとすれば、言葉は誰に対して演じればいいのだろう。
 時代も境遇も異なる読者の胸を打ち、憑依する言葉があることは、古典の数々が証明している。書物に乗っ取られるよろこびを知らなければ、誰も好んで本を読もうなどと思わない。背伸びした子供が、ほとんど理解できない文章で埋め尽くされた、黴臭く、ぶ厚い本を、辛気臭い顔で凝視するが、やがて眼差しに応じるように、幼い読者を奪う言葉が現れる。読書家の多くが、思春期を終えるまでに経験する、運命の出会いである。存在の一義性という、神学由来の概念を安易に用いるのは躊躇われるが、読書を通して、似つかない二者の間に共通するもの、一義的なものが発見される。書くという行為は、来るべきものとして想定され、まだ自分の言葉を持たない人民のためにある、とドゥルーズは熱っぽく断定した。先人が投げた矢を若人が拾い、未来に向かって振りかぶるように、古い書物に語るべき言葉を見出した現代の者が、新しい世代のために執筆するよう背中を押される、創造的な作用が読書には含まれる。
 と、誇大妄想が頁を逸れた目線の先に浮かんでいた。
 眼差しをもとの位置に戻し、再び本の世界に潜水しようと試みるが、想念が散漫に放出されるほど、束ね難い注意力が文字の上を滑り、再び何処でもない場所に視線が浮かぶ間、ふと、ぺソアの言葉を思い出した。
── 心の底から夢中になって本を読めた試しがない。知性や想像力が絶えずコメントして、物語の筋を折ってしまう。
 おれもそうかもしれないな、と頬杖をつきつつ、滞った読書の計画に不安がにおう。上手く眠れない日が続けば、焦燥が昼間を騒がすよう、本を読む時間が減るだけ苛立ちが疼き出す。制御できないと知りながら、頓挫した計画に憤怒して、進捗がないまま時間が過ぎる。人生で既に何度も経験した、今後も繰り返すだろう失態に飽きずに憤りつつ、皆これを経験しているのだろうか、とこちらを憑依した作家について、答えの出ない問いをぽんと浮かべたのち、これ以上は集中できないだろうと諦め、本を閉じた。


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