退屈な青春

 二〇一五年二月一四日の授業は午前中で終わり、正午頃の教室では、帰る支度をしたクラスメイト達が、鞄を肩にかけ、机にもたれたりしながら、各々の雑談に興じていた。着席したまま、ぼんやりと正面に掛かった時計を眺め、購買のチョコパンを頬張る自分は、帰宅後の予定について考えていた。
 ふと、視界の隅に見覚えのあるふたりが映り、目線を向けると、扉の前でやいのやいのとじゃれ合っていた。
 一人は小学校時代からの知り合いだが、特別仲がいいわけではなく、すれ違えば言葉を交わす程度であるものの、前年の八月だったろうか、今背中を押している、もうひとりの女子生徒を紹介してくれた。顔を知らないままメッセージが送られてきて、最初はおれを騙そうと企んでいるのかと疑ったが、何度かさぐりを入れて、どうやら本心からこんな馬鹿っぽいメッセージを送っているのだと気づき、有頂天になった。ひとめぼれだという。嬉しい話である。
 メッセージの最中、少年らしい独善的ともいえる良識が働き、「顔もわからず、ろくに話したこともない相手と付き合うのはおかしいし、君もおれの中身すら知らないのに告白するべきじゃない」と断ると、「じゃあ会って話そうよ」と誘われたので、ある日の放課後に出かけることとなった。校門で待つ間、アニメさながらの美少女が現れて、これからとんでもないラブコメディが始まるかもしれない、と胸が騒いだ。数分後、肌が白く、長い髪を二つに分けて結んだ、狐のような面立ちの女子生徒が、恥ずかしそうとも、狡そうとも映る上目遣いであらわれた。不細工ではないが、可愛くもないな、と偉そうに容姿を裁く内心の落胆を悟られないよう、笑みを装い、「はじめまして」と手を差し出すと、向こうも笑いを含みながら、自分たちは初対面でない、と断られた。
「体育祭の時だよ、覚えてない?」
 覚えていなかったため、はぐらかした後、自転車を手で推しながら、彼女と下校し始めた。
 告白されるなど初めての経験だったから、最初に覚えた失望も徐々に薄らぎ、ぎこちなかった会話が円滑になる過程に、絡まった糸がほどけるよろこびを覚えた。ヴィジュアル系が好きらしく、メッセージでもお気に入りのバンドの名前を挙げていたが、当時の自分にとって、そんな音楽は虚偽であり、もっと本物を聴くべきだと憤っていたため、そう遠くない場所に位置するTSUTAYAに向かい、大好きだったオアシスやレディオヘッドのCDを借りるよう強要すると、「聴いてみるね」と返され、満足を覚えた。
 帰路を辿る最中、不意に、女子生徒の上目遣いに媚びるような色っぽさが含まれているよう感じ、恐怖にも似た、後ろめたい情欲に駆られた。この女はおれのことが好きなんだ、という確信が湧き、言うことだって何でも聞いてくれるかもしれない、そう考えると、喉が渇いた。
 間もなく道がわかれたため、解散となった。
 家に着くと、素早くオナニーした。射精したのち、みずからの軽薄さに失望した。震動するスマートホンの画面に、先程わかれた女子生徒からのメッセージが表示された。数回やり取りをしたのち、改めて付き合えないと断りを入れた。
 二か月が経ち、秋めいた感傷が冷たく街を駆けていた。放課後、再び同じ女子生徒を校門で待っていた。どちらから誘ったのか覚えていない。童貞だったため、あの時セックスしときゃよかったなあ、と覚えた後悔に散らかった勉強机を叩き、股間をしごく日々を送っていた。
 数分後、狐顔の女子生徒が目の前に現れ、あの日のように上目遣いで自分を見つめていた。
 ふたりでどう過ごしたのか、まるで覚えていない。たわいもない言葉を繰り返し、知らぬ間に夜を迎え、公園で休むことになり、大きな遊具に入った後、何を期待してかわからないが、しょうもない話を延々と引き伸ばした。恋の駆け引き、と言われるものらしいが、後になって思い返すと、互いの狡そうな眼差しと、思わせぶりな言葉を交わし合った以外に残る印象がない。
 遊具の隙間から、ベンチに座ったカップルが見えた。女が馬乗りになって、覆いかぶさるよう腕を回し、男と抱き合いながら、唾液をまじえる影絵が、か細い音を立てて蠢いた。注視する内に「あれって、入ってるのかな」と女子生徒が訊いた。「まさか」と横を向くと、彼女の顔が驚くほど近くて、焦れた眼差しを注いでいた。肌が月のように白く、薄闇に浮かんでいた。
 カップルがベンチから去ると、示し合わせたように移動した。一切がめまいのように曖昧で、ほの暗かった。何を話したのだろうか、気が付けば立ち上がり、相手の身体を抱きしめていた。初めて触れた異性の肉体は柔らかく、温かくて、人生のすべてを台無しにしてしまう、おれは堕落してしまうんだという、息苦しい官能が甘くにおった。
 とろけるような眼差しと無言で見つめ合い、彼女の口が開いたのは、あと少しで唇が触れ合う矢先であった。
「ここから先がしたかったら、わたしと付き合ってほしい」
 さあっと熱が引き、滲むような失望が染み出した。おれは一体何をしているんだ、何故この女はそんなことを言うんだ、危なかった、あと少しで人生を棒に振るところだった、そんな大袈裟で迷信深い直観に打たれ、急いで身を離した。
「ごめん、用事を思い出した」
 自転車置き場まで走って逃げた。息を荒くしてペダルを漕ぎ、掠める秋の夜風が心地よかった。
 その後、殆ど会うこともなく一年と数か月が過ぎた。
 バレンタインデーに女子生徒の姿を認めた際、最初に覚えたのは焦りであった。このまま自分を呼び出して、チョコレートを渡すのだろうか、だとしたらクラス中から注目を浴び、恥をかくことになる。おれもお前も、そんな派手な見た目じゃないのに、「青春ごっこ」をしている内に忘れてしまったか。せっかく平穏無事な学園生活を送っているのに、悩みの種が撒かれることになる。少し考えればわかることに、何故気づかないのか。
 あの晩、公園で抱き合った時の眼差しが、焦燥に過ぎった。自分も酔ったように揺らぎ、醜態を晒し、恥ずかしい姿を見られた、都合よく忘れていたのに、あの女はずっと覚えていたんだ、そう考えると、それまでどうでもよかった相手の存在が、途端に疎ましく思えてきた。
 その時、ある友人が自分が片手に持っていたパンをひったくった。
「おい、待てよ」と、鞄を肩にかけ、彼を追いかけるふりをして、反対方向まで走り、途中でパンを取り返すと、女子生徒のいない扉から教室を去った。下駄箱に着くと、振り返って後ろにいたらどうしよう、と恐怖を覚え、自転車置き場まで走って逃げた。
 過去は思い出される度に捏造される。すり替えられた場面もいくつかあるだろうが、その後の人生で、類似の感情を経験する度、象徴的に一連の記憶が反復された。酔ったような眼差しに、徐々に失望の色が滲み出し、何故おれは期待に応える態度が取れないのか、と自己否定の快楽に耽ったことも少なくない。失態を繰り返すにつれ、宗教的な理想が高じ、やがて自分と同じように恋愛一般で疎外を経験したひとと運命の出会いを果たす、なんて迷信深くなる。しかし、期待すればかつて自分が疎んだ女性と似たような重苦しさで他を責め、理想から逸れれば失望するという身勝手さで振り回すことになる。同族嫌悪とも違うが、結局、ひとは自分が軽蔑したものに似ていくのかもしれない。そもそもおれが求めているものは最初から存在しなかったのだろうと悟った時、夢のない眠りにも似た穏やかさに襲われ、あらゆる失望に伴う安堵を貪った。
 逃げ出した後の帰り道、自転車をとぼとぼ押しながら、もしかしたら手作りだったかもしれない、悪いことをしたな、と後悔がじわじわ滲みだした一方、他人の期待を裏切る喜びが矜持を促し、懺悔の口調を装いながら、中学時代の同級生が集まったグループチャットでその日のことを報告し、自分がいかに特別な存在かという思い上がりに酔っていた。
 一か月が過ぎた。
 勉強に励まなければという意識に反して、春休みの心地いい気怠さは、正午過ぎまで我が身より離れない。黄ばんだ日差しと白い布団に包まれて、うつらうつらとと夢現をさ迷いながら、時間を確認しようとスマートホンに手を伸ばすと、女子生徒からメッセージが届いていることに気づいた。
 シンプルな愛の告白が綴られていた。
「突然どうした」と打ち込みながら、相手がメッセージを送ったのが深夜二時頃だとわかり、どうやらぐっすり眠っていたようだな、とまぶたを擦った。返信はすぐに届き、「君じゃなきゃ駄目なの」と、こちらが恥ずかしくなるような一文に、顔を顰めた。おれじゃなきゃ駄目とは、そこまで深い関わりがあっただろうかと不自然がりながら、どうしたものかと頭を抱える最中、あの晩の記憶が過ぎった。女子生徒の柔らかい身体、とけるような眼差し、「続きがしたかったら付き合ってほしい」というふしだらな台詞、全体にまつわる不潔で、忌まわしい印象が結びつき、あの晩のことを忘れずに、今日までも、もしかするとこれからも覚えているかもしれないと考えると、影を踏まれて動けなくなるよう居心地が悪く、不愉快だった。
 障った気を正当化すべく、トルストイさながらの道徳心を装いながら、当時好きだった『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』のもこっちをアイコンにしたTwitterのアカウントで「もう二度と同じあやまちは繰り返さない」と意味ありげな投稿をした後、「ごめん、やっぱり付き合えない」と断った。先程の投稿には「今度は正しい選択をした」とドラマチックなコメントをぶら下げた。数分後、「了解、ごめんね、ありがとう」と前向きな言葉が届いたため、綺麗に終わったな、としたり顔で満悦していると、「フォローしてないけどTwitterの投稿見てるよ笑」と相手の言葉が続き、自分に酔ったツイートが恥ずかしくなり、削除した。

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