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鶏を捌く「命の授業」子どもに見せたいですか(その③)

その③に入ります。③じゃ終わらなそう…エピローグがありそうな予感です。

KFCがない奄美大島。でも残酷にもテレビからCMは無作為に流れてきて、可愛い女優さんが「今夜ケンタッキーにしない?」と言うものだから、事情を理解できない当時3歳の息子は「うん!ケンタッキーにしようよ!」と無邪気に言ってきた…そりゃあ、私だって食べたい時も多々あったよ!

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(2020年12月09日ブログより)

タイトル:withコロナと言いつつも

あっという間に12月…人の死やらウィルスやらでブログの更新がしんどくて、先延ばしにしていました。

とうとうこの瀬戸内町にもやってきた新型コロナウィルスの輩
もうwithコロナの時代だ、東京で見てきて、身近な友人や仲間がそうやって生活しているのを見て、自分もそのつもりだったのですが、
いざ身近なものになってみると、まだまだ未知で怖くて疑心暗鬼になってしまう、ものすごい威力を持つウィルスなんだな…と思います。
身体だけではなく、心もむしばむ…

しかも感染者の年代が若い若い!(こう言ってしまうことも誹謗中傷になってしまいそうでそこも怖いところですが)
本当に身近な問題なんだなと感じております。
閉じてしまった食事処も、郵便局も、念のため学校や習い事を休んでいる子どもたちも、その親も。

娘の東京の小学校では昨日、児童1名が「コロナに感染していた!」ということが判明。でもすぐに陰性とも判明。
教職員総出で除菌作業をし、今日は通常通り授業だそうです。
ただし心配だから子どもを休ませても公休扱いとのこと。

恐る恐るみんなに聞いてみると「うちは行かせたよ~」という家がほとんど。
スゴイな…みんな本当にwithコロナ。昨日判明した状態でも除菌が済んでいればもう学校に普通にいかせるし、子どもも行きたがると。

1人だけ。娘が幼稚園から一緒で、家が斜め向かいのマンションなので毎朝一緒に登校する男の子だけは、なんと先週からお休みしているとのこと。
パパの会社で感染者が出たので、パパもママも自宅待機。念のため子どもも自宅待機を選んで、先生には家の用事で休んでいますという風にクラスで説明してもらっているそうです。

「僕がコロナだと思われたらどうしよう…」とそれでなくとも心配性の優しい彼が、増々悩んでしまったとのこと。
「〇〇君が休んでいる間に誰かがかかったってことだから、疑われないよ、大丈夫だよ」と朝LINEしました。

そんな心配まで子どもにさせてしまうこのコロナ。憎たらしい限りです。

仙台に住む高校の友人のお父さんは、このコロナ禍の9月末に末期の胃がんと判明。
入院してしまうと家族に会えなくなってしまうため、何も手を施せないのならということから自宅療養を選びました。
そしてあっという間に11月の末に病状が悪化し天国へ旅立ちました。

この時期だから、ここ2か月は家族でゆっくりどういった葬儀をするかを話し合えたそうです。
そして最後の最後まで痛みが奇跡的になかったらしく、穏やかに呼べば返事をする程度の中で眠りについたとか。
ある意味、私の父いわく「最高な死に方だな」というぐらい、良かったのかもしれません。

ただその友人。
ご主人をちょうど2年前にくも膜下出血で亡くしました。47歳のまだまだ働き盛りのご主人を。
同級生の友人たちの間で一番先に結婚し、私もそのご主人に散々可愛がってもらい、すでに20年来の付き合いだったため、亡くなったと聞いたときはこちらまで気が狂いそうなショックを受けて泣き崩れました。
家族葬にするとのことでしたが、荼毘にふす前に最後にどうしても顔を見たくて東京から始発の新幹線で駆け付けました。

友人のそんな傷がまだまだ癒えず、お別れが嫌で納骨さえできていない今年三回忌に偶然重なってしまった彼女のお父さんの死。
2年間で大事なご主人と自分の父親を一気に亡くしてしまったんだな…と思うと、彼女と彼女の娘さんにとってこの時期は一生辛い時期になってしまうのだろうなと思ってしまいます。

そんな彼女たちに自分は何ができるのだろうと思って悩み、手紙を書き、本を用意して奄美から届けました。
人に心を送るのは難しいです。
慰めたいし、元気になってもらいたい。でも軽々しいことを言ったら白々しいし。
幸運にも今回は彼女に届いた私の想い。
それでも彼女の状況を本当の意味で理解することは難しいです。誰の立場でもそうでしょうけどね。

「書物の新しいページを1ページ、1ページ読むごとに、私はより豊かに、より強く、より高くなっていく。(チェーホフ)」
でも、1ページ1ページ大事に読まなくてもいいと思います。
「書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる。(ヘッセ)」
そして、
「良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。(デカルト)」
とも言われています。本と会話ができればそれでいい。助けてもらえればそれでいい。

彼女も落ち着いたら、私が送った本の中から「一言」でもいいので何かを見出して、それに支えながらこの嫌な時期を乗り切って欲しいな…と思ってしまいます。

「喪失学 「ロス後」をどう生きるか? (坂口 幸弘)」
何かを失くすということは、誰にでも必ず起こることです。その時にどう向き合うのか。この本が必ずしも正しいわけではないのでしょうが、
何かのヒントになるかもしれません。

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「死ね死ね団」公園に参上!

娘いわく、昨日も同級生の「死ね死ね団」は意気揚々と公園に現れ、最初は仲良く遊んでいたのに、何がご不満なのか「死ね!」「マジむかつく!」「くたばれ」攻撃がまたもや始まったそうです。

でも昨日はいつもと違い、抵抗勢力が台頭。「俺はそんなこと言われるのは嫌だ!」と反発した男の子がいて、それを助けたかった我が娘も「そんな言葉を使っているとイジメにつながるんだよ!」と(珍しくまともに)対抗したとか。

でも「死ね死ね団」たちはしぶとく、「は?だから何?」と涼しげな顔。しかも中立国の住民の中にも「別に俺は言われても傷つかないけどね~」と味方してしまう輩も現れ…完全勝利とはならなかったとのこと。残念!

A兄ちゃんの「命の授業」

2020年夏から桃源郷に有機農業の勉強のためにファームステイで来ていたA兄ちゃんは、奄美を統治していた薩摩藩国立大学の学生です(薩摩と奄美の歴史は奥深く悲劇でもあるのでまた別途)。農学部で勉強していましたが、コロナ禍に突入した直後、大学にいるのももったいないと思って速攻休学届を提出。最初は沖永良部島で農業体験をし、次に来た奄美大島(もともと彼のお母さまの故郷でもある)に来て2,3か月勉強したら他の島に移るつもりが…桃源郷に恋をしてそのまま居ついてしまいました。そのうち農業と経済の関係性に興味が移っていき、2021年には復学して農業経済コースとやらで勉強しているとてもとても優秀な、私が知る限り「良きZ世代」を代表するような骨のある将来有望な(思想も変わっている笑)若者です。もはや「私の息子」状態で溺愛中。

その彼のおこなう「命の授業」。それは…

「普通なら見ないものを見せる」

普通鶏の肉は「スーパーで売っているもの」であって、大学生の優しいお兄ちゃんが包丁を首にさして絞めるものではありません。ですがA兄ちゃんはそれをあえて子どもたちに見せます(希望しない子はもちろん強制しない)。優しく優しく語りかけながら。鶏の命という「フィルター」を通じて、命って何なのか、生きるということはどういうことなのか考えて欲しいという意味を込めて。

A兄ちゃんは言います。「見たくない!」という子供は、逆に命というものを感じているはずだから、無理に見せなくていいだろうと。そこに本人の意思と選択が生まれると。

そして鶏を捌くことよりも、最初の首を切る部分「絞める」ことが重要で、命がどう絶えていくかを子どもたちにわかりやすく説明したいのだと。

A兄ちゃんの理念

A兄ちゃんは動物を「愛護」の観点から「食べない」と決める選択は好きではないそうです。理由は単純。動物も植物も同じ命を持っていて、人間はそこから十分に有難く命をいただいて生きているのだから、区別はしたくないと。生きること自体が他から命をいただく行為だから、そこから逃げることはできないというのが彼の理念。

生態系・食物連鎖・ベジタリアン・ヴィーガン・宗教・愛護の理念

もちろんA兄ちゃんの理念にも多くの反論や異論があると思います。実際この授業を今後どう扱っていくかをママたちや大学生たちで議論した時には、様々な意見が出たので…それはエピローグででも書こうかな。

その際、私が娘の同級生の「死ね死ね団」メンバーにこそ(ピンポイントではなく、そういうお年頃の暴言を吐く子どもたち)、こういう「命の授業」を受けて欲しい!と言いました。そしてそこに多くの賛同を得ることができました。

「死ぬ」ってなんだろう。「くたばる」ってどういう状態か。そもそも「命の大切さ」なんて、どうやって子どもたちに教えることができるのだろう…と。

A兄ちゃんは答えました。「僕は命の大切さというより、命の重さを感じて欲しいのです」と。また、別の(私の娘状態の)女子大生は(フードロスの活動をしているこれまた聡明な若者!)、「私も命の大切さというより、普段自分たちが食べているモノに向き合って考えることができるということが大切なんだと思うんです」と答えました。彼女はどんな食べ物でも無駄なく使い切り、食べ残さないように日々工夫して生活している子です。

スーパーで並んでいる鶏肉が、いかに「異様か」という事実もあります。ブロイラー(日本の肉用鶏のほぼ100%)は、早くスーパーに並べるために急速に成長するように「品種改良(悪)」されており、無理やり太らせられるフォアグラのようなもの。一度ひっくり返ると自力で起き上がることができなくなってしまうほど、もはや「鶏状態」ではないこと。どこまで子どもたちに教えるかは別として、これも「教える」のではなく「感じて」欲しい事実。

「人間も同じ」

私が東京に戻る直前にやっと(何度も懇願!)受けることができたそんなA兄ちゃんの「命の授業」。そんな私が一番、本当に一生忘れられなくなる感動を覚えたのはこの言葉。

「鶏をみてごらん。首を切られて血だらけになってもまだバタバタしているでしょ?最後の力を振り絞っているんだよ。人間もね、首を切られてもすぐに死ぬわけではなく、10秒ぐらい生きようとするんだって。(中略)まだ動いているでしょ?鶏さん。ほとんど死んでいても羽や足先などの感覚は残っているんだよ。最後まで残る感覚って何だと思う?耳って言われていてね。人間も一緒で、例えば“ご臨終です”と言われてからも、耳だけの感覚は残っているんだって。だから誰か大切な人が亡くなったら最後は耳元でありがとう!って叫ぶといいよ。きっと聞こえるから…」

心が抉られました。本で読んだとしても感動していたであろうこの言葉は、実際に首の動脈を切られて絞められている鶏を真剣に見つめて、本心は気持ち悪いな…と思いつつも「これが自分たちが好きな唐揚げなどになる鶏肉の最後なのか…」と五感で感じている幼児から小学生を目の前にすると、心が揺さぶられる感動を覚えました。

そして私が小4の時に同居していた祖母が亡くなった時のことを想いました。だんだん手が冷たくなり、医師が言う「ご臨終です」という小学生にとっては初めて聞く言葉を聞き、死ぬということが理解できなかった私は祖母の耳元でひたすら「おばーちゃん!おばーちゃん!」と泣き叫びました。

あ、あれはきっと聞こえていたんだ!よかった…もう30年も前のことですが、A兄ちゃんの「命の授業」で再確認した瞬間でした。

※閲覧注意

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鶏が首から血を流す写真は載せないでおきます笑。都市化した私たちにとっては「非日常」過ぎて受け入れられない方も多いかと思うので。

でも、奄美ではなぜか「腑に落ちる」のです。普段銀座を歩いていて鶏が目の前を横切ることはありませんが、奄美では普通にヤギがひょっこり顔をだしたり、イノシシが山から下りてきてその晩の食卓に並んでいることもある。

あ、奄美のイノシシ肉、美味しいです!生臭い感じが全くなく、豚トロのような味。塩コショウだけで食べられます。ヤギ汁もうちの大家さんはローリエで臭みを消してから作るので、これまた美味しい!

でも我らが桃源郷に住む大事なシンボルヤギだけは、一部のママたちが断固としてヤギ汁化に反対しています。でももう年齢的に美味しくないそうなので、安泰かな。

そして我が娘。あんなにA兄ちゃんの「命の授業」を楽しみ(半分怖いもの見たさ)にしていたのですが、さすがにその晩のBBQの時は「これ何肉?」と毎回確かめてから食べ(牛や豚はいいのか?おい!)、その後1週間は鶏肉はちょっと…と拒み続けました。

東京に戻った現在、全く問題なくフライドチキンもタンドリーチキンもどんなチキンも食べています。スーパーの「異常な方の」チキンですが。

この「命の問題」については後日話し合った内容をエピローグにしたいと思います。長い間鶏にお付き合いいただきありがとうございました!

KYHR/SLA

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