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【前任校の思い出②】〜花咲徳栄に勝利!〜

令和2年度夏季埼玉県高等学校野球大会・東部地区準優勝!県ベスト8!


2020年。

3月に新型コロナの感染拡大で臨時休校となり、緊急事態宣言発令で5月いっぱいまで休校。

春季大会どころか、夏の甲子園・選手権大会まで中止となりました。

選手とともに目標を失いかけていたというか何というか、冬トレを頑張ってきて成長が見られ「さぁこれからシーズンインだ!」とワクワクしていたところでこのような事態になり、とてつもない喪失感がありました。

最後の夏の大会があることを信じ、4月からGoogle Classroomというアプリを使い、自宅での練習の参考になるものを紹介したり、オンライン上で部活動をする程度しかできませんでした。

そんな中、8月に県の独自大会(夏の代替大会)が開催されることが決まりました。

チームが決めた目標を達成してほしいとも正直思えず、最後までやり切って高校野球を終えてほしいという気持ちだけでした。

大会が始まると、

1回戦(対春日部高)9-0
2回戦(対三郷工業技術高)10-0(5C)
3回戦(対越谷総合技術高)6-2
4回戦(対越谷南高)2-0

と順調に勝ち進み、進路活動と両立しながら最後まで部活動をやることにした3年生たちは全員が試合に出場することもできました。

いざ東部地区準決勝・花咲徳栄高との試合!

そして、東部地区準決勝。

夏5連覇中で、春のセンバツの招待試合から帰ってきた花咲徳栄高と対戦することになりました。

「せっかくここまで勝ち上がったなら、私もやれることはすべてやり切ろう!」

と、監督の許可をとって前日の練習でミーティングをしました。

確認したことは、

①打撃(バッティング)

②守備(ポジショニング)

③バッテリーの配球

についてのみを、それぞれ一点ずつ端的に
しました。

いざ、当日を迎えました。

プロ注目の井上(現ソフトバンク)を見て、「おぉ〜」とか言ってる選手もいれば、

ベンチでは「歴史を作るぞー!」とか叫んでる選手もいて、

大丈夫なんだか、大丈夫じゃないんだか、そんな状態で試合が始まりました。笑

1回表を簡単に抑えられ、1回裏。

1番井上にフェンス直撃の3塁打をいきなり打たれ、2番はタイムリー。

私の記憶が正しければ3球で1点を取られました。笑

その後、試合が進んでいくと、追いつき勝ち越して、6回表を終えて5ー2でリードしていました。

そして、6回裏に王者の底力を発揮され、3点を取られ、同点に。

5ー5の同点で、最終回7回に入りました(独自大会特別ルールで7イニング制でした)。

7回表は得点できず、7回裏。

2死2塁からレフト前ヒットを打たれ、ついにサヨナラ負けかと思われましたが、レフトが猛プレスしてすぐ返球。

カットをつないで、本塁で間一髪タッチアウト!

そのレフトは本来はセカンドの選手で、大会前に急遽練習させ、この試合ではこの7回裏のイニングから途中出場していました。

采配がドンピシャでした。

そして8回から延長タイブレーク。

無死1・2塁からの攻撃です。

打順の巡りが良く、そのレフトの選手の打席からです。

バントが得意な選手で、きっちりバントを決めて、1死2・3塁。

打者は2番、この日本塁打を打っている主将。

本塁打を放った主将

ライトライナーを放ったら、ライトが弾き、1点勝ち越し。

3番のエースはボテボテのピッチャーゴロでしたが、3塁走者はギャンブルゴーで本塁へ突っ込み、それに投手からの送球が高く逸れてセーフとなり、さらに1点追加。

最後は、4番がレフト線に2塁打を放ち、8ー5に。

8回裏は外野フライとゲッツーで0点に抑え、8回タイブレークの末、花咲徳栄高に8ー5で勝利しました!

前任校野球部HPより

結果的にはチーム13安打でした。

エースは完投し、次の日の昌平高との試合を含めて全試合で失点したのは、この花咲徳栄高との試合の5失点のみでした。

東部地区決勝・昌平戦のエース

打撃・走塁の作戦、守備のポジショニング、バッテリーの配球、そして監督と相談して行った選手起用まで、すべてがうまく噛み合った試合でした。

しかし、次の日の東部地区決勝戦は昌平高に1ー5で敗れ、東部地区優勝とはなりませんでした。

前任校野球部HPより

勝てば西武メットライフドームでの東西南北決勝トーナメントに進出することができたのですが、その夢は叶いませんでした。

さいごに

ただ結果としては【東部地区準優勝】で【県ベスト8】相当を成し遂げることができました。

春季関東大会や秋季関東大会に出場したことはありましたが、夏の大会でベスト8になったのはエース増渕を擁して2006年に準優勝した時以来の“14 年ぶり”になります。

この3年生はマネージャー含めて19人で本当によく頑張ってくれました。

新型コロナウイルス感染拡大で3か月間の休校、春季大会も選手権大会も中止、部活動も制限された中での実施、進路活動も同時並行でやりながらの状態でこの大会に臨む形となり、いろいろと苦しい思いをしてきたはずです。

最後このような形で終わることができて本当に良かったです。

花咲徳栄戦ゲームセット直後のようす

そして、この代の主将とエースは大学でも部活動で硬式野球を継続しています。

この時の捕手(2年生)も、主将を追って同じ大学に進学し、野球を継続しています。

彼らのこれからの活躍が楽しみです。

またこの代の公務員就職希望者は全員が無事に採用試験に一発合格し、埼玉県警などに勤めて頑張っています。

進路活動の結果からも、良いチームで良い生徒たちだったのだなと実感しています。

そして、この代は監督が変わって3年目。

今までの学校のイメージをガラッと変えた3年間でした。

この3年生は私がB戦(下級生練習試合)に2年間連れ回し、“走る野球”を教えてきた思い入れのある学年でした。

埼玉県第5位の賞状

昌平高との東部地区決勝戦に残念ながら敗れましたが、試合後の上尾市民球場のバックネット裏本部役員室で責任教師(部長)である私が【埼玉県第5位】の表彰を受けました。

嬉しくてたまりませんでした。

今までの野球人生で一番幸せだったかもしれません。

この夏のことは一生忘れません。

ほんとうに子どもたちに“感謝”です。

本当に、本当に、ありがとう。

その気持ちだけです。

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASN8K66TLN8KPTQP010.html%3Fusqp%3Dmq331AQRKAGYAceZtrP2ormviQGwASA%253D
▲ 朝日新聞・記事

https://www.saitama-np.co.jp/news/2020/08/18/06.html
▲ 埼玉新聞・記事

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