食事介助❌神がかり的❌生命力

仕事で忙しい看護師に食事介助を頼む葛藤↓というかはあるものの、食事は必須。

ということで、食事介助をお願いすることになった。

誤嚥のリスクを考えると、完全にフラットで食べることを注意されそうだが、体調が原因で座れない場合は特に何も言わないのだろうか?

他の患者にも、動けず座れない人がいるのだろうか?

特に注意された記憶はない。言われたところで、その程度で上体を起こせる体調ならば、初めから寝たまま食べるなんてことはないのだけれども。

この時、闇雲に注意されなかったことに感謝している。

誤嚥の危険性や誤嚥性肺炎の予後、特に呼吸状態が良くなく、人工呼吸器を拒否した人間が誤嚥し肺炎を起こし、上体を起こせず(ギャッジアップ出来ず)、去痰もままならなくなった時の末路は容易に想像できた。それでも不可能だったのだから……

本当に、色々本人に無理なことを注意しなかったことに感謝してもしきれない。

ここの看護師は優しい。特に優しいし、一人たりとも苦手な人に会ったことがない。どこにでも、一人くらい小言をいう人がいたりするものだが、一人としてそのような人に会わなかった。けど、そういえばここ数年で入院中にそのような人に会ったことはないかも? もっと言うと、ここ数年で非常に優しいと感じない看護師に会っていないかも。いや、初発時から振り返っても、最初は苦手かもって感じた人はいないわけではないかもしれない。でも、もっと長くお世話になっていたら、優しかったし良い人達だった。

患者としてはこの上なくありがたい。

プロフェッショナルなのだが、人間味もある。食事介助の時や清拭(ベッドバス)の時に会話をすることがあるが、親しみやすく楽しい。(人間味というのは、ミスがあり親しみやすいとかではなく、人格的にというか、プロであることで患者とスタッフに距離ができるとか、少し冷たさがあるとか、ロボットっぽくなってしまうことがないという意味で)

私が色々喋っていることもあったこともあろう。(食事はただでさえ時間がかかる方なので、なるべく急ぐよう心がけてはいた。なので、一応私が喋ることは控えて、たまに質問するくらいに心がけてはいた…… つもり)

私は食べるのが遅い。これは病気になる前からだが、昼ご飯を食べ終わるのはいつも最後の方。普通に友人と食事をしても、食べるのが遅いため、最初のうちは「とても美味しいのだけれども、私は元々食べるのが遅いの。気にしないでね。」と結構反復して言うようにしているほど。

ただでさえ食べるのが遅い人間なものだから、食事介助に時間がかかってしまうのは非常に申し訳ない。

この時、咀嚼も困難であり、そのまま飲み込むわけにもいかず、舌で食べ物を潰して飲み込んでいた時もある。

開口障害も出ており、一口が小さくなっていた。

普段にも増して食事に時間がかかっていたことだろう。

しかし、誰一人として嫌な顔をしたり、即すような仕草をとる者はいなかった。

いや、本当に大変だったんじゃないかな?

他の患者も当然いる。食事時は忙しい時間だと聞いたことがある。食後に内服薬を配ったり、飲んだことを確認したり、その後バイタルチェックがあったりもするだろう。何時間も一人の患者の食事に割いてる時間はないと思うのが風通ではないかと有希は思っていた。

しかし、有希も有希で、食事がいかに大切かも授業で習った記憶があった。口から栄養を摂ることで、腸の組織の状態が保たれた。その組織の写真は今でも記憶に新しい。そして、体内の様々な現象には酵素が必要だが、その補因子は様々なビタミンやミネラルだ。生化学をやったのは遥か昔で内容は全ては覚えていない。しかし、その事典くらいの厚さの教科書を読み込み、細部まで記憶するのが大変だったのは記憶に新しい。

栄養状態が悪い患者の方が、褥瘡などの合併症を起こしやすく、重症化させやすい。ただでさえ動けず、昼間は寝返りが打てない有希にとっては予防が大切なところだ。

肺炎などの感染症も、栄養状態が悪い患者の方が罹患しやすく、重症化しやすい。そして、同じ感染症に感染した時、栄養状態が良く、体力がある患者の方がそうでない患者よりも治りが良く、早い。

生命を長らえさせること、より合併症のリスクを減らし、快復の可能性を高めるためには食べることは非常に重要である。

有希は心に決めていた。申し訳ないけれども、絶対に遠慮せずに食べる、と。

ここでの看護師は皆、有希が完食するまで食事介助を快く行ってくれた。そして、持ち込みの食品まで色々快く食べるのを手伝ってくれた。

食事ももちろんだが、その他の実に様々なことに非常に理解のある対応をしてくださった。本当に良くしてもらったと思う。ここまで言うと、美化しているとも思われそうだが、大切にしてもらったようにすら感じている。

お互いにどことなく複雑な立場のため、お互いに気を使うところはあったと思う。

それでも、人と人が接し、そういう社会のうんぬんを除いて、非常に良くしてもらったように思っている。

身近で直に色々見て、触れて、肌で感じることで、遠目から話しを聞くだけでは伝わらない様々なことを理解してくれていたのではないかと思う。

転院の際にとても厚い封筒に申し送りを書いてくれた書類が入っていた。次の病院での対応から察するに、相当丁寧に生まれて初めて看た疾患の特性とその対処法を詳細まで綴ってくれたのではないだろうか?

正直、もっとずっと前にその時の入院の感謝している面について書くべきだったと後悔している。

退院直後は家での話題が「○○○看護師さん良かった」、「何何が良かった」あれがどうでこうで、となんかひっきりなしに言っていたからな。

もっと記憶が細部まで鮮明なうちに書き残しておかなかったのは大きな損失に思える。

食事介助時の個別のエピソードは看護師さんの個人情報にも触れてしまうので、公開しない形で書き出し、保管しようと思う。

10年後寝かせたそれが形を変えて何処かで登場することがあるかな?その時は、本人の許可を取りに訪れるかもしれない。

でも、どうかな…… 骨髄移植前の記憶力に甘んじていたら、最近随分と色々…… 記憶の質の変化に戸惑いを覚えている。

ハハ、それでも並かそれ以上の記憶力はあるだろうと自負しているのだが……苦笑。

まぁ、将来のことは追々。先のことは誰にも分からない。

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