スキーと葛藤 【冒頭は健忘録】

(2024年2月頃に書いた内容。今は改善してるから、まぁ、闘病のリアルということで、一部公開してもいいかな?)

小学生の頃、親に頼み込んで、車を買い替える際にワゴン車にしてもらった。何故って? 当然、皆と同じように、我が家も友人達皆をミニバスのように乗せて、遊びに連れて行ってもらえる(連れていける)ようにだ。

学校帰りに皆で家の車に乗り込み、皆で家の近くのスキー場に行った。

皆で思い思いに滑り、最上階? 一番高いリフトにも2回乗り換えて、リフトで行ける一番高い所から滑ってくる者もいれば、一回リフトを乗り越えて広くて急なスロープから、直滑降で競争する者、緩やかな丘をゆったりノビノビ滑る者。

当然、私が一番好きだったのは、一番急な坂だけど、崖から落ちるリスクがない場所で、友達と直滑降で競争すること。

勝負大好き!

勝つのはもっと大好き💕

だけど、負けても勝負自体と友達と遊ぶのがすっごく好きなんだよなぁ。(負けると、自分が勝つまで勝負を挑み続けるので、要注意😆)

皆で一緒に行って、要所要所で一緒に遊び、同時に思い思いに滑った楽しい思い出。

本当に楽しかった。

過去に戻れるとしたら、この頃なんて最高だ。幼稚園頃に自然と海と熱帯動物に囲まれて楽しく生活していた時期も最高だった。実は、大学時代も楽しかった。けど、病気前に戻りたいなぁ。

大学時代の友人から、スキーの動画が送られてきた。

電話での会話中、

「今度一緒に行こう」

「〇〇(私の名前)、絶対ここ好きだよ!」

という励まし?と応援の言葉を発する友人。自分でも驚くほどの悲しみを秘めた優しく穏やかそうな声で、「きっと、そこに行ったら凄く楽しいんだろうね。綺麗だなぁ。今度、連れて行ってよ。一緒に行きたいなぁ。」と私が返答する。心底願っていることも事実で、同時にその可能性が自分には存在しないと受け入れてしまったような声。

自分でも驚く。

希望を願いながらも絶望感に打ちひしがれ、正直内心ズタボロで、胸もハチ切れそうだ。

まぁ、主治医も他のスタッフも全力を尽くしてくれてるのは分かってる。

でも、たまに……なんだろうね、この感情は。

そして、いくら改善しているとはいえ、活動範囲は非常に狭く、ADLもまだまだ低い。

自立していないし、生活も成り立っていない。

辛い。

とても辛い。

加えて、"治療"は結構なリスクを伴う割に、改善幅は悔しいくらいに、そこまで大きくはない。

正直、PTSDも悪化している。

加えて、今回の入退院とその後の状況から、私の人間不信に拍車がかかった。というか、まぁ、回避っていうPTSDの症状なのだろう。以前からあったものに加えて、種類も症状出現頻度やトリガーも増している。人とも距離を作り、あまりのキャパオーバーに、微風が吹けば噴火しそうなくらいに苦しみが自分の中で煮えくり返ってマグマのように拍動している。

生活に大きな大きな支障だ。

当然、自分からどっかに助けを求めないと、活路は切り開けない。

誰に、どうやって助けを求めればいいのだろうか?

もう、色々無理だ。

嘘でもいいから、親しげに話したい。

そして、友人とも会いたい。

そうだなぁ……

会いたいなぁ。

色々、やらなければいけないことは多い。

しかし、重い腰が上がらない。

動けない。

物理的に動けないこともあるし、怠くて動けないこともある。

そして、本当に些細なことでも、もう耐えられない。

本当は、既にズタボロで心はメタメタに引き千切られている。

というか、自分の感情すら焼き尽くし、生気を失った真っ白な灰と化している。

でも、表向きは? いや、時々は楽しみも見つける。

最近までは、正直自分の生存以外のなにかに気がつける余力すら消失していた。当然、他者を思いやる余力もなくなっていた。心の視野狭窄だろうね。

そして、その余力の無さは、実に様々なところで、無感情と炎上の間を右往左往しながら、ボロボロの心身でヨレヨレとのた打ち回り、這いつくばって、どうにか沈むまいと頑張ってきた。

自分以外の何にも、誰にも気がつく余力すらない。身近な助け舟にも、苛立ちを感じる。助けが必要な自分への苛立ち。正直、枯渇した状態で、生存すらアップアップだ。

だから、そよ風が掠っただけでも、苦しみが噴火して、涙が溢れそうだ。けど、人前では泣けないから、それを別の感情にすり替える?あるいは、PTSDで怒りやすくなっている。

そして、既にキャパオーバーでパンクしている心では、本当にほんの些細なことでも、その場で泣き崩れそうなほど苦しい。((けど、後でこの思考が異常なことも、反応が過剰なことも気がついたから、PTSDの治療を急がないと、本当にヤバいと気がつけた。今は、別に大丈夫。))

けれども、バイタルだけは「通常」と同じ。

それでも、平時に脈が100くらいというのが「普通」で且つ「大丈夫」なワケがない。

でも、そんなこと言ったら、もう最低5年間は「大丈夫」などと定義される状態になど至ったことはない。

その中でも、必死に自分の居場所を見つけて、必死になにか楽しみを見つけ、編みだそうと頑張ってきた。

もう、限界なんて、とっくに超えている。

それでも、頑張ったり、耐えたりする以外に方法はない。

本当に、すっごく頑張っている。

きっと、端から見たら、楽しそうで、改善傾向だから余裕たっぷりで、少しくらいのことには耐えられるタフさを持っていそうで(普段はたしかにタフ)、きっと羨ましいくらいにイキイキしているように見えるのだろう。

でも、中は瀕死だ。

心も瀕死。

八方塞がりじゃないのに、そう感じる程に辛い。

普段優しいんだよ。

とっても優しい。

感謝する。

ただ、正直、もう無理だ。

本当に……

今までは感謝していた。今でも、感謝している。

けど、辛くて余裕が全く無い。

300%キャパオーバーだ。

患者って…… 凄く苦しんでいる、切羽詰まった人間でもあるんだよね……

ごめんね、人間であるスタッフさん。

感謝しているよ。

なんせ、あなたの行動が私の命を繋いでいるのだからね。

今を大切に生きよう!


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