見出し画像

【ショートショート】 ある不思議な夜のこと

 ふと何かの物音で目を覚まし、寝ぼけ眼で時間を確認すると、時計はちょうど午前3時を回った頃だった。
 寝返りを打つのも億劫なくらい体中は重く、燃えるように熱い。昼間に感じた倦怠感は、見事にひどい頭痛と発熱を連れてやってきた。

 (明日からの連休は引きこもって終わりかな……。)

 ため息をついて改めて布団に潜ろうとした瞬間、妙なことに気がつく。消したはずのキッチンの電気がついているのだ。1Kのこじんまりとした一人暮らしの部屋で、ガラスのはめ込まれた引き戸の向こうが妙に明るい気がするような…。

 (消し忘れた?)

 ベッドの置き方の都合上、ガラスの隙間から射し込む明かりはちょうど顔のあたりにくる。それなりに眩しくて眠るのに差し支えるため、消し忘れてキッチンに戻ることは何度かあっても、そのまま眠ってしまうなんてことは今まで一度もなかった。
 まあ、そんなこともあるか、とぼんやりした頭で違和感に蓋をする。消しに行くか…でも体が重い、それに面倒くさい……。

 眠りと覚醒の狭間で脳みそが溶けそうな感覚を抱く。

 ──ガシャンッ!

 どれくらいそうしていたかわからないが、ずるずると布団で微睡んでいた最中、何かが落ちたような大きな音がしてはっきりと目が覚めた。

 (……え?)

 引き戸の向こうで人影が動いている、気がする。

 「誰?!」
 思わず声を出して起き上がる。ガラス戸の向こうの人影が、その声に驚いたようにじっと動きを止める。

 熱のある頭でぼうっとしながらも、視線を引き戸から離すことなく、瞬時に携帯を手を伸ばして様子をうかがう。キッチンの電気を消し忘れたどころか、玄関の鍵をかけ忘れたのか……?

 「誰ですか?!」携帯の画面をちらちらと見て、数字を押し始める。1、1…。

 0を押そうとした瞬間に引き戸の向こうから心底申し訳なさそうな返事がきた。

 「驚かせてごめんねえ、さっちゃん。」

 その言葉と同時にそっと引き戸が開けられ、そこには申し訳なさそうに小さく肩を丸めた、私のばあちゃんがいた。

 「ばあちゃん?!なあんだ、びっくりさせないでよ。」

 ほうっと息をついて、強張っていた肩から力が抜けるのを感じた。今になって思い返してみると、そこにいるはずのないばあちゃんがいるのに私は少しも驚かなかった。

 「ごめんねえ、驚かせるつもりはなかったんだけど。ばあちゃんどんくさくって、コンロのお鍋にぶつかっちゃって。」
 「いいよいいよ、やだもう泥棒かと思って本当にびっくりしちゃった!」

 私は笑って掛け布団をよけ、ばあちゃんに座ることを促す。ばあちゃんはゆっくり首を振ってそれを拒みながら話しを続ける。

 「そうだよねえ、ごめんねえ。でもこの時間なら顔が見れるかなと思って。」

 ばあちゃんは少し安心したようで、それでも居心地悪そうに両の手を撫でこすりながら、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして私に笑いかけた。

 「こうやってお話しするのは随分と久しぶりだねえ、さっちゃん。元気……ではなさそうだねえ。あら、ひどい熱じゃない。とりあえずあったかくしてもう一度寝なさい。」

 おでこ貼った、剥がれかけの冷却シートを指で押さえ、私はばあちゃんのいうことに素直に従って布団に戻る。
 「毎日いろんなことを頑張ってるみたいだね、偉いねえ。さっちゃんはばあちゃんの自慢の孫だよ。」

 これまでに何度も何度も聞いてきた言葉だ。会う度にばあちゃんは、私のことを自慢の孫だと眩しいものを見るような目で見ながら言ってくれた。
 何度も何度も…でもここ最近は聞けなくなっていた──ばあちゃんは数年前から私とママの区別がつかなくなっていたからだ。

 「さっちゃんは、ばあちゃんにとって初孫でしょう。さっちゃんがばあちゃんを『ばあちゃん』にしてくれたんだねえ。」

 ばあちゃんは優しい声で私に語りかけ続ける。今目の前で起きている不思議に混乱する私と、ゆったりした気分でばあちゃんとの会話を楽しむ私がいることを冷静に感じる。

 「ばあちゃん。」
 「はあい。」

 聞き慣れたはずの、いつものばあちゃんの返事だ。はい、の間を少し伸ばしてはあい、と聞こえるような返事をしてくれた。その言い方が私はとても好きだった。

 「もう、苦しくないの?足は痛くない?」
 何も考えていないはずの私の口からするすると言葉が出てくる。
 「うんうん、もう大丈夫よ。足もほら、ちゃんと自分で立てるようになってる。」
 歩くのはやっぱりもたもたしちゃうけどねえ。

 楽しそうに言いながら、ばあちゃんはくすくすと笑う。私の大好きなばあちゃんの笑顔だ。

 「さっちゃんに、ご挨拶をきちんとしたくてきたんだよ。」
 何の、とは聞かなかった。
 「そっか、ありがとう。会えてすごくすごく嬉しいよ。」
 「お鍋ごめんねえ。」

 もういいよって言ってるのに。にこにこしていたかと思えば、急にまたしょんぼりして謝るばあちゃんの、くるくる変わる表情に思わず笑ってしまう。

 いいのに、そんなこと。笑っているのになぜか涙が出てくる。そうそう、ばあちゃんはこんな人だった。

 「ありがとうねえ、さっちゃん。さて。ばあちゃん他のところにも行かなきゃいけないから、そろそろ行くね。」
 「そうだね、私のとこにだけって言ったらママやパパが拗ねちゃうもんね。」

 二人して涙でぐしゃぐしゃのまま目を合わせてくすくす笑う。

 「さあゆっくり寝なさい。すぐよくなるからね。」

 ──そこで、目が覚めた。
 携帯が鳴っている。実家からだ。
 私は深呼吸して、まだ濡れている頬をこすり上げ通話ボタンを押す。

 体は軽い。熱はすっかり下がった気がする。
 ばあちゃんの言ったとおりだ、やっぱりばあちゃんはすごい。布団から出て、急いで身支度をしながら電話越しにわあわあ泣いているママの声を聞いた。

 「さっちゃん。ママ昨日夢を見たのよ、ばあちゃんの夢。そしたら、今朝──」


(2387文字)


=自分用メモ=
思ったより長くなってしまったけど、それなりにうまくまとめられたと思う。短文を連ねる効果と、多めに入れたオノマトペの効果を探りながら書いた。
あ、あとずっと曖昧で調べてなかった「三点リーダ」をようやく覚えた。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?