【エッセイ】私のこと、嫌いやったやろ
充実した週末を経て、朝からのんびりと「日常」に飛び込むべく、画面に向かいテキスト画面と、手元でアナログにメモ帳を広げる。
コーヒーを淹れて、いつもの定位置に腰を下ろすと同時に、なぜだか急に教え子に言われた言葉がよぎった。
あれは文化祭の準備をしていたくらいの時期だったか。
高校まで会いに行くから、時間を少しくださいと卒業した教え子から連絡がきて、昼休みの後、五時間目ならフリーだからいいよと返事をした。
就職に関する相談をしたかったらしく、志望動機やら面接やらの話をしてひと段落したときに、本当に突然問われた。
「せんせえ、私のこと嫌いやったやろ?笑」
嫌い…。
想定外の言葉に驚いて、相手の顔を見るも目は合わない。
──私、生徒を嫌いだと思ったことはあっただろうか。
心の中で、ざっといろんな人を思い浮かべてみたけれど、該当する顔は思い浮かばなかった。よって、そのままそのことを伝える。
「そんなことなかったよ」
「嘘やん、あれだけうざいこと言ったり、やったりしてたのに」
「…何してくれたっけ」
何やの、うざいことって。いらんことせんで良いんよ、と笑う。
笑いながら、本気で心当たりがなくて聞き返したけど、彼女は笑うだけだった。笑って「よかった」とだけ言った。
その後、もう少し話しを掘ってみると、就職活動をする中で「そういうことは嫌われる」とか「これまで嫌われてこなかったのか」とか周囲の友人に言われたことが、彼女にその問いを出させたようだった。
すごいことをいう友人もいるもんだなあと思いつつ、人間の良いところと悪いところは、大概表裏一体だから、悪くみる人がいれば良いとみる人もいるものだと懇々と説明した気がする。
嫌い。
意味の強さに、ドキリとしてしまう言葉の一つだ。
それを聞かれてから、しばし真剣に考えたことを今でもよく覚えている。
「私、生徒を嫌ったことはあっただろうか」
どれだけ時間をかけてゆっくり思い返しても、答えは「否」だった。
お互い人間ですからね、そりゃあ馬の合う・合わないはあります。それは絶対に、そう。
生徒の言葉に傷ついたことは、ある。後でちょっと泣いた。
カチンときたことも、ある。やっぱりちょっと泣いた。
みーんなずーっと最初から最後まで大好きでしたー!なんて綺麗事では済まない、そしてなかったことにはならない事実は、間違いなく、ある。
それでも、不思議と教え子に関して「嫌い」だと思い返す人は今一人としていない。
みんなかわいい教え子である。ちょろい人間だ。
この感覚が、「過去」が「思い出」になった結果なのだろうか?笑
不安を隠すようにヘラヘラとした笑いを引っ付けて、「私のことを嫌っていないか」と問うてきたあの子の気持ちを想像して、今でも胸の隅が少し痛くなる。
嫌いになんか、なるもんか。
泣いた思い出も笑った思い出も、叱った思い出も、全部全部大切な私の一部だ。
そもそも人生において、「こいつ嫌いだなあ」と思ったことが少ない気がする。根は心の広い、優しい人間なんです私は。…ただ、ゼロではないのがリアルなところ。
苦手な人はいます。
仲良くなりたいと思えない人も、います。
でも、そういう人はわりと早々に私の視野からは外れていく。
「好き」の対義語は「無関心」、とはまさにそう。どうでも良すぎて考える余地もないというか、「へえ、面白い。私とは違う考え方の人間だなあ」くらいでさらりと通り抜けていく。
嫌いなんて、きっとわざわざ作らなくてもいい。
放っておいたらいいよ、世界中全員を好きになる必要なんてないし、逆に世界中全員から好かれることなんてどうせできないんだから。
ただ、わざわざ嫌われることをする必要もないよ。
自分と異なる考え方を、槍玉にあげて非難することを、しなくていい。
世の中、これが下手くそな人が多いよねえ…なんて思いながらコーヒーを啜る。
それはそうと、何で「嫌い」云々の話しの子のことを思い出したのか、きっかけや心当たりが無さすぎて不安になった。
虫の知らせ的な、そういうアレかと何だか怖くなり、思わず本人に「元気?」と連絡をした。
すると、先ほどビールとのツーショットが送られてきたので、とりあえず元気ならヨシと笑った。
月曜の夜からビールとは…!
なかなかイカした大人になってるなあ、最高だ!
人生なんて、そんなもんである。
それで、ヨシ!
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