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癒される過程で辛い過去を思い出してしまったら…

MINOです。

心理カウンセラーを目指しています。
根本裕幸先生に師事しています。

癒されていく過程で、封印した過去を思い出してしまうことがあります。自分の意識とは無関係に思い出してしまいます。というのは、カウンセリングの場で思い出す作業をするのではなくて、癒しが進んでいくと勝手に過去の記憶がふとよみがえることがあるんです。



癒される過程で封印していた過去が思い出されてしまっても、恐れなくても大丈夫です。

あなたの魅力に気付かせるための重要なステップでもあるし、神様からのヒントです。思い出してしまったら、安心して今の自分の感情を感じてみて、過去の自分の感情を感じてみて、流れに流されるままにしてみることが大切かなと思います。抵抗もせず、否定もせず、ああ…そうだったな…って…。

ある程度癒されたからこそ思い出す過去は「今のあなたなら大丈夫。」だから。



思い出した過去は時にはつらく目を背けたくなるものかもしれません。

わたしが思い出したもののなかには、これまでの自分の人生がひっくり返ってしまう出来事もありました。正直、戸惑い、すこし取り乱しました。今まで思い出さなかったことにも意味があると思えました。持ち続けては生きられなかったかも知れない記憶です。けれども、思い出してしまった記憶は受け止めるしかありませんでした。
このタイミングで思い出したことにも大きな意味があると思いました。



これはわたしの話になってしまいますが、私はこの3ヶ月間に、「25歳の記憶」と、「10歳の記憶」と、「5歳の記憶」を思い出しました。

「25歳の記憶」を思い出したときは、今もあのときの感情を無意識ですがずっと持ち続けていて、毎日毎日、13年間も抑圧し続けていたのだと知りました。別の形で毎日毎日、じぶんに現れてきていたことがあって、ずっと不思議だし苦しかったのですが、25歳の記憶を思い出して安全に手放してみたら、13年間の習慣がパタリと止みました。

「10歳の記憶」は10歳の頃の自分として、笑ったこともあるし、泣いたこともあります。笑った私、泣いた私が、いつもの大人の私と違っていて、ああ…これは10歳の頃の私だ…と気づく感じでした。

「5歳の記憶」は恐らくツライ出来事過ぎるのか思い出せないので明確にお伝え出来ませんが、表層のぼんやりした感情と光景だけが思い出されました。一生懸命思い出そうとすると「戸惑った」感情だけはみえてきました。どうしても思い出せない部分というか拒否している部分があるようですが、それ以上はきっと、まだ今のわたしの心とカラダでは受け止めきれないという神様の配慮かもしれない、全てを思い出さなくてもキッカケだけで良かったのかも知れません。



もしあなたが過去を思い出したとしたら、そこにどんな価値・魅力が隠れているのだろう、じぶんの生きる意味はなんだろう、生かされている意味はなんだろうと、静観してみましょう。



必ずなにか生きるヒントが籠められているから、ひとまず、思い出しておめでとう。ですね。


MINO

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