賭ケグルイと幸福論

こんにちは。パチンコって害悪だと言われてるけど、することのない高齢者にとっては明日の糧になってたりするんだろうなあと思っている広報部です。

さて、タイトルの「賭ケグルイ」とは、ボクが最近観た映画のタイトルです。
予告編はこちら。浜辺美波さんがきゃわわ。

「賭ケグルイ」とは
尚村透作画による日本の漫画作品。『月刊ガンガンJOKER』にて2014年4月号から連載中。(Wikipediaより)

先に言っておくと、「賭ケグルイ」の内容は、今回の話と全く関係ないです。

なぜ、ボクが今回のタイトルを「賭ケグルイと幸福論」にしたのか。

それは、この映画のおかげで、人生における哲学や幸福論のような
一種の真理にたどり着くことが出来たからなのです。

ここからは「賭ケグルイ」の内容には全く触れないので、
ファンの方はここで「そっ閉じ」をおすすめします。
ちなみに、作品の評価としてはめちゃくちゃ面白いです。
滾(たぎ)ってしまいます。

さて、この映画のおかげで何に気付くことが出来たかという話だが、
先に結論を言ってしまうと

比較しないこと」の大切さです。

比較するという行為が、いかに豊かな人生の邪魔になっているかをこれから説明したいと思います。

まずは、それを気付かせてくれたこの作品、つまり「映画」というコンテンツ。もう少し広げて「ドラマ」も含めて話をしましょう。

「実写化」は悪か

映画やドラマには往々にして原作が存在します。
もちろん完全オリジナルなものも多数ありますが、原作が存在する方が比較的多い印象です。
そして、原作ファンにとって「映像化」というステップアップは必ずしも歓迎されません

そして、その拒否反応が顕著に表れるのが、
漫画・アニメを原作にした「実写作品」です。

それは本来何話~何十話もかけてじっくりと描かれる世界観を、
たったの2時間にまとめられ、本来ファンにとって大切なシーンを端折られたり、実写における再現技術の限界から、設定そのものを変更されたりして、
改悪」と評されることが多いのです。

さらに、漫画→アニメ→実写映画と移行したコンテンツは、
実写化でその世界観と評価を保つことが難しい
漫画では、文字による情報と絵による視覚情報、
アニメではプロの声優による音声によってほぼ世界観が完成してしまうからです。

小説が原作の映画が比較的叩かれることが少ないのは、
漫画やアニメと違って読者の母数が少ないことと、
文字のみの情報しかないからでしょう。
ただ、小説は自分の脳内で作り上げた濃い世界観があるため、
絶対に叩かれないということはまずありません。

では、どうすれば良いのか。

それが「比較しないこと」です。
つまり、映画(もしくは実写作品)から遡って観ることです。

原作未読のまま映画から入れば、
自分の中にその作品の世界観はゼロからスタートができます。
純粋にその作品を楽しみ、評価することが出来るんです。

これまでの実写化映画の評価を見直してほしいんですが、低評価をしているほとんどが「原作と比べている」ことが分かります。
原作は素晴らしいのに、このシーンが描かれていないだとか
原作は素晴らしいのに、この役者はこのキャラに合っていないだとか、
全て原作と比べたからこその評価です。

原作のストーリーが素晴らしいのであれば、
基本的に実写化だろうがなんだろうが、初見の人は素晴らしい作品、ストーリー、世界観を目の当たりにするはず。

もちろん、原作を知らないと置いてけぼりになるような作品や、
チープな演出や、意味不明な脚本で、作品としてどうかという映画もありますが、
それは原作云々の前に、純粋に映画として評価しづらいというだけなのです。

比較をしないことが人生を豊かにする

これは映画に限ったことではありません。
音楽などの趣味や仕事、家庭においても同じことが言えると思います。

例えば、新人アーティストのリリースした曲を聴いた時、
あなたは「○○っぽくて嫌い(好き)」や、「演奏が下手(上手い)」
などの評価をしていないでしょうか。

それは、そのアーティストを聴くよりも前に、誰か他のアーティスト、
特に自分が気に入って聴いていたアーティストの曲を聴き、
そのアーティストないし曲が、あなたの中での一種の基準となり、
そのアーティストと比べてどうかという比較をしているからです。

「パクリ」という評価はまさにそれ。
自分が聴いてきたアーティストや曲がある意味正義であり、
それ以降に出てきた似たような曲は許せない。

だが、その曲を聴いたことがない人にとって、その世界観やサウンドの曲は
初めて聴いたものであり、「パクリだ」なんて評価はまず出ないはずです。
その後、「あ、その曲はあのアーティストのパクリなんだよ」という指摘を行うなんてことは、相手の貴重な経験を奪う行為に近しいとボカァ思うね。

まずは純粋にそのコンテンツが自分にとって「良いか悪いか
ただそれだけで良いんです。

もちろん、これまで様々なコンテンツや人と接してきている以上、
全てを「初見」にすることは不可能です。

仕事において、比較こそが分析の本質であり、それ無しでは意味がないという人もいるでしょう。それはそれで良い。

ボクが言いたいのは

家庭において、自分の妻、夫、子どもが周りと比べてどうか、
仕事において、自分の部下や上司が周りと比べてどうか、
そんなこと考えるよりも、
自分にとってどういう存在か、どう向き合うかが大事なのではないでしょうか。

今日はこれくらい!

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