ほんわかふわふわ(花倉みだれ)としてのレビューや感想に対するスタンス表明
■はじめに
こんにちは、ゲーム制作サークル「ほんわかふわふわ」代表、花倉みだれと申します。
一応2つゲームを作りきっているので、ゲーム制作サークルだと、ゲーム制作者だと言い張らせていただきます。
今回はTwitter等で絶えず話題になる「悪評レビューに対するスタンス」みたいなのをうけて「レビューに対するパブリッシャー「ほんわかふわふわ」としてのスタンス」について改めて明示できればと思います。これまで言っていることと何も変わらないですけどね。
どうにも、私のスタンスと反対側のスタンスが「クリエイター」というほど大きい主語で拡散されたりバズってしまうのを見ると不安になってしまうのです(笑)
私だってクリエイターだぞ!! っていうふうに。
端的に言えば、自由に言ってくれ! どんな内容でも言ってくれるだけ嬉しい! 例えばこんくらいなら全然ノーダメージ! みたいな話をします。
■条件付き許容について思うこと
「死んでもいいけど迷惑はかけるんじゃない」
「信仰は自由だが勧誘はすんな」
みたいな「自身に害がない限り寛容である」というスタンス表明を耳にすることはしばしばあると思います。
学校で習った「国民の権利については、公共の福祉に反しない限り~~」という文脈にも沿っていて違和感持ちにくい部分だったりもします。
それでもこれ、今の私はすごく違和感を持って受け止めがちです。
人身事故のトリガーになるような状態の人間に「俺にだけは迷惑をかけるな」なんて角度の言葉がどれほどの意味があるのか謎ですし、多くの新興宗教やマルチにおいて「勧誘」は徳を積むための行動とされているんですよね。
「徳を積むための教義を否定しておいて、信仰は自由だとか寛容ぶってきやがってこの野郎ぶちころすぞ」
くらいに思われることもあるのかもしれません。しらんけど。
譲歩して許しているつもりが、より怒りを買ってしまうって怖くないですか。
そのリスクを思うと「条件付き許容」のスタンスを表明する価値ってほとんどないと思うんですよね。
言葉の態度としては当人に歩み寄っているようで、その当人にとって望む言葉や態度ではない可能性も高いわけですから。
周囲や対外的なポーズとしての効果はあるかもしれませんが、私みたいなのには「ふ~ん」って思われてしまうでしょうし、そもそも「当人以外に向けた態度や言葉」って基本的にはあまり誠実でないように思います。当事者には触れずスポンサー向けに頭下げる謝罪会見みたいなものです。
レビューについての話をする前になんでこんなことを言ったかと言えば、まさにこの「条件付き許容」みたいなことをまさにこれから私が言うからです。
死ぬほどかっこ悪い~!!!! って思いながら書いているのだ、というなおさらかっこ悪い言い訳みたいなものです。
■ほんわかふわふわとして、花倉みだれとしてのスタンス
私はゲーム以外にも小説や4コマや動画やら、自分の勉強がてら出来る限りの横展開も行っています。それら全てに共通しているものと受け取っていただいてかまいません。
一言で言うなら
「人格批判も短い罵倒でも動画形式での晒し上げでもなんでも★1でもどうぞご自由に!! ……ただ、できればプロデューサーに矛先が向かうような形で言ってくれると嬉しい」
となります。
ユーザー目線で見ると、出た~! じょうけんつきやつ~! シネ~!! うぜ~! メンドクセ~! これだから個人開発者はよ~!!!
ってなると思いますが、これが本心ですね。「言ってくれると嬉しい」はあくまで要望ですし。
●なんで批判でもなんでもいいの?
何より、自分が今とても無名だというポジションが原因です。
仮にクソゲーだと広く認知されるとしたら、その次で少しまともなのを作っただけで「成長した」という広告的物語が生まれるわけです。それだけでメリットがあります。クソゲーだなぁ……って思ったとして、じゃあ何も喋らんとこ……ってなるくらいだったらどんどんクソゲーだって拡散してください。そのほうが嬉しいです。
1作目では★1だったのが3作目では★3.5まで上がりました! って言えたらそれだけで感動してくれるフォロワーなんかもいるのかもしれません。
これがnullから1とかだとちょっとムズカシイ。低くてもいいから評価がほしい。それが本当の底辺にいる1人の製作者としての本心です。
ありていに言えば、低評価に晒されるメリットこそあれ、デメリットが現状は一切ないのです。
私はその昔「超クソゲー」とかそういうムックをよく読んでいましたし、KOTY(クソゲーオブザイヤー)もよくチェックしてますし、そういうスタンスでゲームを取り上げていた個人サイトなどをよく見ていました。端的に言えば、クソゲーをあげつらう文化に対して、それなりの愛着と理解を持っています。
クソゲーだっていう触れ込みだし触ってボロクソレビュー書いたろう……と思って実際遊んでみたら名作やんけハマったわ! っていうパターンも無数にありました(15年~20くらい前の話ですが)。
こういう機会損失を、変な風潮や気配りによってしてしまっているのだとしたらそれが一番悔しいのです。
もちろん「クソゲーとしてあげつらうにも値しない」のが私が出したプロダクトに対する現状の評価でるのだと受け止めているので、評価されていないことについて責めるつもりもありません。
触れてくださった方にはそれだけで最大限の感謝をさせていただきたいです。
「ある程度の期待感が事前にあって、それに届かない」
という文脈がクソゲーレビューには必要なんですよね。有名な人生ゲームやメジャーやたけしの挑戦状なんかはそうでしょう。見るからにクソっぽくてクソだと特に面白い記事にならないのです。だから、そういうレビューを受けた方は素直に広報面で期待感を煽れたのだと誇ってもいいと個人的には思ったりします。
もちろん、褒めてくれるなら最高に嬉しいですよ(笑)
●じゃあなんで変な条件つけるんだよ
ゲーム制作は1人でできるものではありません。いや、できている人もいるのだとは思いますが、私はできません。unityがなきゃできないみたいなエンジンレベルの話もそうですし、絵や音は全面的に借り物でできています。
それらの素材を料理したのは私で、ここに対して全責任を負う覚悟はあります。
ただ「私を通して素材を見られる」覚悟は正直持ち合わせておりません。
例えば「こんないい音楽をこんなゲームに使うなんてミスマッチwww」
とかそういうのであればそれはそうなのでどんどん言ってください。
絵でも声でも音でも、私に使われていることを見た有力プロデューサーが「もっといい案件に使ってあげなきゃもったいない……」って思って自分のところで起用するみたいな流れがあったらこんなに誇らしいことはないですよ。
ですが、音源やスプライトそのものの品質に飛び火されてしまうのは少々耐え難い。
きっと、私以外のところで使われたら間違いなく輝けたと思うからです。
あるいは「これだからunityは……時代はやっぱりUEだよな」みたいなことを私を通して言われると思うともう耐えられないです。
私は別にUnityの看板しょってゲーム作ってるわけではありません(笑)つまり、そういうことです。
なので、あくまで矛先はプロデューサーに向けたもの、つまり私に対して筋が通るものであると嬉しいなと思います。
でもこれも、レビューする側としては結構めんどくさい条件なのもわかります。なので、あくまでお願いベースです。
色々廉価に請け負っていただいたり、無償で配布してくださっている皆様に嫌な思いをさせたくない、それくらいは表明したいという気持ちなのです。
●これからもずっとそんな感じでいくの?
わかりません。
ただ「悪評でも評価がほしい」というのは私が本当の底辺層だからこそ言えることです。
「本当の底辺」から脱した、守るべきブランドができたと自分で意識的にであれ無意識的にであれ考えた時、その時が私が「自分に心地良い評価だけ寄越せ」と言うタイミングだと思います。その時がくればいいですね。
●「ほんわかふわふわ」以外の場合はどうなの?
考えにくいですが、例えばスクリプターやプランナーやシナリオなどで私が他のプロダクトのお手伝いをすることも今後の縁次第ではあるかもしれません。
そういう1スタッフとして携わる場合は、そのタイトルのプロデューサーの意に沿ってください。
全てはそのタイトルの偉い人が決めることだと思いますからね。
私がこうだ、というだけで、特定の誰かであったり何かであったりということを批判したいわけではないのですよ。
ほんふわに対して遠慮している人がいるなら遠慮しなくていいですよ、と。言いたいことはそういうことです。
●具体的にはどんくらいならいいの?
『フラシュ無料ゲーム』という無料ゲームまとめサイトに取り上げていただいたことがありました。
ここでのコメントは、同じゲームを公開しているその他のPFと比べてアカウント登録が不要な点でやや匿名性が高く、やや辛口な傾向にあります。
「フラシュ無料ゲーム 『2」を選ぶクイズゲーム 学園スイーツ発見 ~双目(ざらめ)のドーナツ編~』のページより」
これくらいなら全然痛くないです。
むしろ、正直な体感がようやく見れて少し安心しましたし、すごく嬉しかったです。そんな調子でGooglePlayStoreとかにも書いてほしいくらいです(笑)
最近は芸能人などもやたら批判に敏感で、一般市民が何かを言うに際しての不自由さが本当に息苦しい。「鈴木マジでチャンスF……序盤に打てよぉ……」とか言うぼやきすらアカウント登録必須のSNSでは許されない空気を感じます。そういう有名税込みでの業界、アウトプットなのでは? と個人的には思ったりするんですけどね。
そういう繊細系で気を使う空気感がゲームレビューの界隈にも届いてしまっているのは1ユーザーとしてはとても不便でガッカリしていますし、こういう匿名でコメントできる場所そのものはもっとあっていいなと思います。応援しています。(とはいえ、作者さんが嫌がっているものには配慮してあげてほしいですけどね)
■優しい世界で得する人は誰なのか?
誰にでも優しい言葉を向ける社会、これそのものはとても尊くて理想的なものだと思います。……思いますか?
私は正直、ちょっとだけ違和感があります。
この世の中に悪辣な言葉が一切なくなった場合、人気や品質の指標になるのは「好評の数」になるのではないかと思います。実際、すでにそうなりつつありますよね。
そうなると、既にスケール持っている方に有利な世界にならないでしょうか。
「富めるものがより富める世界」
って、結構嫌いな人多くないですか? あえてそういう指向なら言うことないですけどねぇ。
「悪評はやめてくれ」
と、風潮レベルで正そうとして、結果的に消費者が声を上げる動きを牽制するような行動を既にスケールを持っている方がするのは、わりとシンプルに新人潰しと既得権維持という方向の意図が、意識的にであれ無意識的にであれ多少働いてしまっているのではないかな、とやや穿った見方を私はしてしまう時があります。
「あらゆる悪評を許容しながら、場合によってはばっさり切り捨てる」
こういう態度を、強者にこそ見せてほしいなぁ~と一市民として最近思うことは非常に多いですね。クレーマーの行動に文句を言われてしまうのでは、あまりに息苦しい。実際にクレームを投げるかどうかはともかく「普通に感想を言う」ハードルがどんどん上がっていってしまいます。
自由に言わせた上で、圧倒的強者としてバッサリ切り捨てればいいのになぁ~と思います。そういう態度こそが、結果的には良い意見の数の底上げにも繋がるのでは……? と、何の根拠もなく考えたりします。
■消費者としての自分
悪評オッケーって言って、お前が適当に悪いこと言いたいだけなんじゃねーの? みたいな疑念もあるかと思います。それは一理ありますね。
消費者としての自分は、何かコンテンツに触れたら出来る限りそのことについて共有するような記事やレビューを書きたいですし、その上で嘘は言いたくありません。
エビデンスのない、ただの好悪の話であっても、それが100,200と積み重なっていく中の一つであれば、サンプルの一つとしては価値があるはずです。残らない好評より残す悪評だと思います。
とは言っても人の子ですし、そもそも「悪いことを言う」リスクの高さを強く強く私は感じています。
いい子でいたい気持ちはあるので、基本的にわざわざそんなことはしませんね。
来るなら来い、ではありますが、別にそれを推奨するわけでもないですし、自分がそういう属性だ、ってことも全然ないです。
「好評の数が指標になってしまっている」と先程は言いましたが「好評の質」を鮮明に打ち出せるような、そういう感想なりレビューなりを書いていけたらよいのかなぁ~と思っています。
■終わりに
まぁだらだら言いましたが、何が言いたいかって言うと、
あらゆる反応全てが嬉しい!! っていうことです!
本当にありがとうございます!!
だから、多少酷評になるからふれんでおこう、ってなってる人がいたら遠慮せずドンと来て欲しい!
現状好評の声が比率として多く届いているので、それもとってもありがたいですね。
匿名で何か言いたい! とかあれば、今はこういうサービスもあって便利ですよね~。
まぁ、レビューや感想の中立から否定的な意見というのは、ユーザー同士共有するためにあるというのが一番の意義だと私は思っているので、作者にぶつけるのは意義としてはどうかなぁと思わないこともないのですが。
それでも、窓口は開けておこうかなと思います。結果的に広く拡散する役割担えるならそれもまたよしでしょう。
もちろん、どうでもいい質問でも承りますよ~。
引き続き、よろしくお願いいたします!
お気持ちを形にして頂けることは大変光栄で、勿体ないながら大いに感謝いたします。いつもよりちょっとおいしい飲み物や食べ物を頂きますね。