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器の大きさのお話

駅の自動改札で、若いママさんがベビーカーを押していました。

反対側にはおばあさんが待っている。自動改札はたくさんあるし、あまり人も通ってない。

若いママのお母さんかな?と一瞬思ったなのですが、通りすがりに

「まったく人が待っているのに何かしら!」

という声が聞こえてきました。

え?

つまり、そのおばあさんは若いママとは関係なく、反対側から向かってきた。

若いママがベビーカー押して通ろうとしている自動改札をそのおばあさんも通ろうとしている。

おそらく若いママさんの方がタッチの差で早く自動改札に進入したんでしょうね

でもおばあさんはそれが許せなかった。わたしが先よ!年配よ!なんなの!

そこで、若いママをディスった、ということかな?

いやいや、いっぱい自動改札空いてるし!

その改札ちょっと通路幅が広いベビーカーとか車椅子とか大荷物の人向けだし、おばあさん身軽だし。

きっと、おばあさんは我慢の限界だったんでしょう。

他にもイヤなことがあったのかもしれません。あるいはすべて文句タラタラな方なのかもしれません。

でも、これがおばあさんの器の大きさです。

別の日のこと。公園の出入り口でお父さんらしき男性が2人の幼い子どもたちを怒鳴っていました。

お子ちゃま2人は固まって、お父さんを見上げています。

さらにそのお父さんは怒鳴り始めます。

ついに子供たちは泣き始めました。

きっと、2人のお子ちゃまたちは公園で遊ぶのを楽しみにしていたんだと思います。ヤッター、公園だー!ってね。

で、何があったのかわかりませんが、お父さんに叱られる、いや、怒鳴られ泣き叫ぶ。

天国と地獄。

わたしも父親なので、お父さんの気持ちはわからないではないけど、そんな公の場所で、子供に思いっきり怒鳴らなくていいじゃん。

でもこれがそのお父さんの器の大きさですね。

いや待てよ?これほんとうにお父さん?こんなに可愛らしい子供たちに怒鳴る?ヤバイ人?

あるいは幼児虐待?

ちょっと声かけた方がいいかな?いやいや、何か事情があるかもしれないし、逆上しちゃうかも…、どうしよう?

とよぎったにもかかわらず、声をかけずに通り過ぎてしまった。

これがわたしの器の小ささです。

器っていうのはその人その人に備わっている、感情や度胸の許容範囲です。

若いママが許せなかったおばあさんは意地でじっと待っているくらいの器の大きさ。

子供を公然と怒鳴りつける父親は自分の思い通りにならないと感情が爆発するくらいの器の大きさ。

そんな様子を見ていたたまれないにもかかわらず声をかけることができないくらいの器の大きさ。

ときには器の小ささに悩んでしまったことがあります。

なんでこんなことを許さないんだろう。どうして勇気がないんだろうと。

でも、この器はその人その人に与えられたもの。

大きくなったり小さくなったりはしない。

大小で善悪が決まるわけでもない。

あなたの器を大切にしなさい。

とある人に言われて、すーっと胸のつかえがおりました。

丼サイズの器もあれば、コップやお茶碗、おちょこサイズの器もある。

コップならガラスを磨いていつでもピカピカにしておく、おちょこだったら立派な陶器で仕立て直したり、金継ぎをすればいい。

そんな感覚で自分の器を磨く。

器の大きさはその人の個性。大きさなりの役割や使命があります。

自分の器をはかり、人の器の大きさをうらやんだりする以前に、みずからの器を整える。

それが、私たちに求められていることだと思っています。



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