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弱者に光をあて現実を見据える

ぎっくり腰になって一ヶ月弱が経ちました。

今回は一日だけ会社をお休みしましたが、あとは何とか出社している状況です。

歩くことができるといえばできるのですが、いつもどおりのスピードというわけにはいきません。

おそるおそる、そろりそろりと!?歩いています。

そうしますと周りの方よりは遅い、つまり、流れに乗って歩くことはできません。

これ意外と厳しいんですね。こちらとしてはちょっと体が当たるだけで腰にどんな影響があるか怖いもんです。

なので、人が歩いていない隙を探し、だいたい端の方を歩いています。

実は端の方には人が寄り付かない、歩かない理由が必ずあります。

障害物があったり、正面から向かってくる人がたまにいたり、ちょっと怖そうな人がいる、などなど。

でも流れに乗って歩けないですから、そうした問題に直面します。

周りの人よりハンデがあるということは、こういう経験を重ねることになるのです。

ただでさえハンデがある上に、人より厳しい条件を選ばざるを得ない、という現実。

わたしがぎっくり腰になったのは、ハンデのある方、弱者の方の立場に思い至るためだったのかもしれません。

初めての経験ではないんです。数年前には今回よりも重度のぎっくり腰になりました。今よりもっとキツい経験をしました。

でもぎっくり腰は治ります。するといつも通りの生活、歩くスピードも元に戻り、流れに乗ることができます。

元に戻ると忘れてしまうのです。忘れてはいけないはずなのに…。

それを神様が見ていて「もう一度学びなさい」ということだったように思っています。

ちょっとしたハンデがさらに窮地に追い込まれる現実に、目を開かなければなりません。

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