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「声が出せない」は私の中の赤信号だと気づいた話

今回のテーマは、固定記事のどん底期に入ってから自分で危機感を感じたタイミングのことをちょっと思い出しながら、書いていこうかなと思います。

⚠固定記事から飛べる過去記事ですが、今回の記事に直接関係するので、本日の記事を読む前に読んでおくと、わかりやすいかもしれません。


人によって、違うかもしれませんが、
これが出来なくなったらマズイってサインはあると思うので、知っておいたほうがいいですよ、的な話です。

イメージは、『自分が飲めるお酒の量はどのぐらいが限界か』に近い話かもしれません。酔ってしまう前兆を掴むというか…

ちなみに、私のお酒の限界は、ネットの友達と通話しながら大学のときに確認しました。…結果、付き合いで少し飲むぐらいが限界、と判断して、日常的に飲んだりする習慣は作っていなかったりします。…余談でした。

自分は何ができる状態がベストコンディションなのか、知ることって大事だと思うので、そんなことを書いていこうと思います。



実はつい最近、まるっと2日間、潰れていた。

食事もろくにとってなかった。note更新以上のことが何もできてなかった。同居している親からすれば、わけがわからない…という感想を持たれたんじゃないだろうか。(noteしてることは知らない)

布団から一切起き上がれない。noteは書きだめてたネタを軽くエディターで体裁整えてタグつけて写真探してポンっと投稿する、ぐらいしか頑張れなかった。

それこそ耳から癒やしをいれなければろくに動けなかったので、ずーっと耳に落ち着く声を流し続けて、部屋にこもりっぱなし。

途中何度か親から叱責されたりもあったけど、身を固くすることでなんとか乗り越えて、意地でもこの手元の端末だけは奪われないようにしないと、と黙って耐えた。親がいきなり部屋に入ってきたとき、その時に口を動かしたが、まったく声が出なかった。


ようやく気づけた、身体からのSOS

『声が出せない』、これが私の中の、赤信号。

これが、2年前ぐらいから頻繁に出てくるようになった。

別に喉がどうしたとかではなく、口がパクパクする感じ…なんか喉で呼吸が止められてるみたいな感覚。

実際の私を鏡で見たりしてないから、人からどんなふうに見えるか、そこはわからないけど自分の感覚はそんな感じ。

17年の秋とか18年の冬は、わかりやすく落ち期にハマりながら、まだ働いていた。(半日勤務とかに変えていた時期だったけどその前数カ月が怒涛の人生転換期だったこともあって、頑張ってた)

この頃、寂しがり思考が爆発してたので寝る前とかはネットの友人と繋がってないと、ろくに生活できなかったのだが、この、声が出ないことで、通話したいのに通話したいができなかった。(ごく少数は喋れなくても通話繋ぎっぱなしにしてくれていた)

「誰か」の声がないと生きていけない、をこの頃多分実感したんだと思う。でも、誰かの声と繋がるには、言葉のコミュニケーションが使えないと、その機会も作れない…通話するのにしゃべれないなんて、相手に申し訳ない…、そんな気持ちで通話も楽しめなくなり、…黙るようになった。

このあたりに気づいてから『声が出ない』になったら、身体の声に素直に従うように変えた。こうなってしまったら、体を大きく動かしてやる全ての行動を丸投げする。…最近はもっと酷くなってしまったけど。

結果的に、中途半端に、しんどい気持ちで動くより、とことん落ちるだけ落ちて、次第に浮上するほうが、出来ることは多かった。

できるときにやる。やらなければならないことでも、
身体がSOSを出しているなら、やらない。

こう決めたことで、動ける時間を最大限活かして、動けるときには動きたい時なのだ、と半分開き直りで最近は生きている。


できる、をやめると、本当に出来なくなる

話が戻るが、どん底期の事。仕事を辞めてしまってしばらく沈んでいたけど、早く復帰したくって、家のリズムに合わせて動いていたら、ある時朝にまず起き上がれなくなった。そこからどんどん体が動かなくなり、そのうち動かそうとしても手足が全く動かなくなった。

動かしてる最中に固まる、腕を上げる力が出ない、目が開けられない、食事が自力でとれない、立ち上がればふらつく…自力でできるのが自分で動けるタイミングの衛生保持、排泄動作ぐらい…

…ホントなんのために生きていたんだろうね…でもね、陥るんだよ…びっくりだよね、出来ることをしなくなると、露骨に出来ないことが増えていくんだよ…そのできない事でさらに落ちていくんだよ。

で、最終的に、体は動かせるけど、『会話声が全く出せなくなった』


しかも、数カ月レベルで。喉を押さえてやっと発声できるレベル。この一件から、私は心配してきてくれる来客と会うこともやめた。…来客が来ても、悲しいことに身体が硬直するようになってしまっていた。

両親もさすがに一か月以上そんな感じだったので、喋れないときは、とやかく言わなくなった。…結果的に、小さくストレスになる干渉が減ったのは良かったことだと思う。

この頃から、さすがにやばいな、と思い始めて、自分の考え方を変えようと思った。

人に望まれる私でいることから、やれることに全力を出そう!と大きく考え方を変えた。

そして、何ができるかを一人で検証しはじめた。


結局、『やれるを続ける』が大事だった

そして、今日の参考記事に繋がり、やれること以外は極力削った結果、今ぐらいまで浮上してくることができた。(調子の良い時、夜は家族と同じ空間で話せて、ご飯を食べられるレベル)

もちろん、それだけだと身体は固くなっていく一方だったので(足首が動かせなくなったり、一時期筋肉量も落ちてた)ちょっとだけ一人になれる歯磨き中とかお風呂のタイミングでこっそりスクワットしたりストレッチをするようにしたりしている。

できそうなレベルで毎日やれることを続けてる。結局、続けられる事が、自分のできること、なんだって身を持って知ることができた。

それでも私の頭はこんな感じで四六時中やたらと動いているので、思考停止しないためには、書いて吐き出して、聴いて取り入れてそこからまた発信活動をするエネルギーに変える…これが私がなんとか「生きる」ために選んだ道。

…とはいえ、めっちゃセーブしてるはずなのに日常生活を送るだけでなぜかエネルギーが削られている。その結果、赤信号がやはりついてしまう。

個人的に家族と多く過ごさざるを得なくなる週末を乗り越えると、潰れる機会が多くなる気がする。今回も多分そんな感じ。

声が出ないのが私の中の赤信号、とわかっただけで、そこまではやれることに徹底的に打ち込むことができるようになった。毎日、省エネしつつ習慣化して、次のチャレンジのために、日々できることをふるいにかけて、無理なくできる事を少しずつ増やしていくようにした。

前の自分の生き方よりはずっとちゃんと自分を「生きて」いるなと思えるようになった。

限界スレスレ期から、1年。自分にしかわからないレベルで小さく変化するための努力をやっていったら、やっぱり生き方、変わった。

思いきって変えてよかった。

変えたことでRadiotalkやnoteにも出会えたわけだし。

こんなところで終わらない。まだまだ、変えていきたい。


やれることを続けて、やれることを増やす!

今の「私」は外には出てはいけないほど脆弱だけど、脆弱であっても、やりたいことはいっぱいあるから、やりたいこと叶えるために、今は、やれることを必死にやる、そう決めたのだ。

限界を知らせるSOSが、どうやら「声が出ない」であることがわかったことで、自分の動きに制御をかけられるようになった気がする。

とはいえ、まだまだ潰れてしまうタイミングをはかりきれないところもあって、「まだやれるだろ?」と思わせてしまうところがある…ので、今は派手に動けないことを『見せる』ようにしている。そうでもしないと、私は私を大切にできなくなる、そう気づいてしまったから。

…頑張るためにも、自分の限界をきちんと決めたうえで、やれることに全力を注ぐ、って考え方が大事な気が今はしている。

こんな現状にたびたび打ちのめされては、立ち止まってしまうのだけど、立ち止まってしまってもやり方次第で、続けていけてることは、続けていきたいし、もっと違うことに繋がるように、動きたい。


・ ・ ・

 

このnoteでは、私の経験を通して、なんとなく掴んできた、自分の心をラクにする『好きを大切にする』生き方を、話しています。

ゆるゆると発信を続けていくので、読んでみようかな、と言う方は、よければ、フォローしてもらえたら嬉しいです。

そんなわけで、本日はここまでです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。


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