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「声」は良くも悪くも私を揺さぶり続ける話


こんなツイートをしてしまったので、流れで話してみようかなって思った。

「声」の特異性は自覚してた

昔から、周囲からも、「よく通る声をしてる」「アナウンサーみたい」など、言われることがあった。喜ばしいことなんだと思う。多分、喜んではいた。とはいえ、今ほど、素直には受け入れられなかったのは、「声」をネタにされる機会が多かった、からだと思う。

劇で、ナレーションしたときは、まあ、私も今、それを外から見たら、いやもっとやりようあっただろう…?と突っ込んでしまうくらいにはおかしなシーンだったと思うが、当時の私はなんのはずかしげも無く、斜め45度ぐらいを向きながら朗読して、やたらとネタにされたことを覚えてる。

いや、それよりも前、私の声は、「ぶりっこ」だってしょっちゅう特定の子に言われてた。原因は、男子の前で、私の想像以上に上ずった声を出してしまってたから。…そんな理由だと思う…記憶がないから、そんな風にしか言えない。

今思えば、極度の男性とのコミュニケーションの少なさから来るものだったんだなぁとは思うが、当時はこれをきっかけに、外見などについても、「からかい」が始まって、まあ、ここから先は、良ければ、自伝的な学生期の記事を読んで貰えればと思う。

…内容は、書けるほど覚えてないのだ。

小学生時代の記憶は、面白いくらい、すっぽりと抜けていることが多い。

だからまあ、書けはしないけど、「声」については、かなり改善しようとしてたのを、なんとなーく覚えてる。

『高い声を出していると大人になった時、高い声が出なくなるよ』そんなことを言ってた同級生がいて、その子は意識的に声を低く出すことを心がけているなんて話を聞いた。

私は、別の理由で声を低くしようとした。自分で上ずっているのがわかってた。…耳は敏感すぎるくらいに敏感だった。この頃にはもうそれを自覚していた。

挙動不審に陥るようになったのは、いつの頃だったかがわからない…でも、なんとなく迫ってこられる音に恐怖を感じていたのは、高校なのではないかなと思っていたりする。

自分の「声」を好む人たちがいることを知る

転機は、私が中学生ぐらいからだんだんオタク文化に一気に傾倒していったことから始まっていると思う。友人きっかけで、銀魂にハマる、ひぐらしにハマる、ローゼン、らき✩すたにハマる…どんどんファン層が濃い作品に少しずつ入っていく中で、「声優」という仕事についても触れることが増えた。

小学生までの私はおそらく、アニメよりドラマ人間。それこそ当時で言うとショムニとかお水の花道とかHEROとか…なんなら渡鬼とか…趣向がそう、親世代に近いものがあった(とはいえこれらは未だにスキ)

この頃から、深夜アニメというものがどんどん一般化してきて、日常的にアニメの話題に触れることも増えた。この頃にはYouTube(ようつべ、なんて呼んでいたっけ)も始まってて、地方民の私は、都会で放映されたアニメの最新回がアップされるのを楽しみに待ってたりした(とはいえこれは違法行為で、現在では規制されている)

そんな作品を見る側から、「やる側」に自分も回れるのではないか…と感じたのが、高校で本格的に始めた大好きな曲を魅力的に歌いたくて始めた、SNSの「歌ってみた」の投稿活動。クオリティこそ酷いものだったが、歌うこと、演じることに対して、「評価」が返ってくる。しかも、いただく評価がわりと好意的なものが多かった。…出会った人達がとにかく、優しかった。人が出来ていた、と思う。

特定の子から、親から、少し疎まれた「声」が、
誰かにとっては、心地よいものであることを知った。

私自身、誰かの為になれることはスキだったし、人の役に立つ人間になりたいと、ずっと幼少期から願ってきていたのは、おそらく私の発信活動やnoteを読んで下されば、きっと伝わると思う。

この「声」は、誰かの「楽しい」につながる!
「声」を出す私も、「すごく楽しい」!!

…それに気づいてからは、「声」の発信の楽しさにどんどんのめり込んで、良いことも悪いこともいろいろ経験しているが、とりあえず、割愛する。

「声」は磨こうとすればするほどに、人に届くモノに変わった

私が声をネット上に公開し始めて、もう10年になる。クオリティは、初期の音源はケータイにしかなかったりするので、もう、比較することはできないが、自分で「歌」に関しては、成長率はものすごいものがあると思っている。

リズムも音程も、安定感も心もとなかったものから、聞けば「あ、この人それなりに歌える人なんだ」と歌いだしてすぐ判断してもらえるくらいには、上達したと思う。…とりあえず、「下手」と一蹴はさせない、と思っている。

触れてきた音楽が、歌ってきた音楽が、私の喉の潜在能力?を引き出してくれた。結果、この「声」は、私にとって、誰にも奪わせない、「武器」になった。しかも、多くの人に、「綺麗」という感想を抱かせることができるくらいには、人の心を、揺さぶるスキルにいつの間にか、なっていた。

ただ、私も「声」に揺すぶられやすいことを知る

自分が発する「声」が影響力を持つ、それだけで終わっていれば、もしかしたら、表舞台、人がたくさんいる場所での華やかな仕事、というものにご縁をつくろうと出来たかもしれないが、現実はそうはならなかった。

私は、ありえないほど、いろんな意味で耳が敏感である。
(正直、面白がられる)

しかも、この耳の敏感さは、対策できるものでないことを知ってしまった。つまりは、全力で影響から逃げなきゃダメ。成人してから一人暮らしを経験した際、音を遮断しなければ、ダメになるし、遮断した結果、無音の環境にも不安定になってしまうことが判明した。(喋れない時に、時計の針の音だけなど、規則正しい音が鳴り続けるのは極度に不安になるらしい)

耳を、ふさぐことはできないし、しちゃダメだった。

「声」に安らぎを求めるようになった。最初はラジオ、生配信…でもこれらは決まった時間に終わってしまうし、同じ声を聴き続けられない。なので個人通話で紛らわせていたが、個人通話で、耳の厄介さを私が自覚した。…敏感すぎる耳にとって良くない刺激になる「声」が存在してしまったのである。

リアルタイムの「声」が、自分の「声」も相手の「声」も、届きすぎる。

弱っているとき、私は自分の凹みトーンにすごく影響を受けてしまうことが判明した。なので、ごくごく限られた人と同性以外、制限時間が自由に決められるような通話はしないことに決めた。通話相手にペースを持っていかれると、多くの場合、私は戻ってこれなかった。

そして私は、マックス不安定な時期、「声」を失い、結果的に、リアルタイムで想いを伝える通話というものができない、と感じた。

そして、より強く精神が不安定になっていった一昨年の冬や、昨年の夏頃、一切の連絡を取らない、ちょっと不思議な形の消息不明を自分のため、私を大切にしてくれていた人のために選んでしまうのだが、それはまた別のお話。(固定記事一番上やその関連記事を読むとより分かる)

紆余曲折あり、ひとりで対処したほうがいいと策を探して、現在は、シチュエーションボイス投稿に落ち着いた。人の時間を奪わず、リアルタイムで反応が返ってこず、かつ、心がリラックスした状態で楽しむことができる。

だが思い返してみれば、似たようなものがすでにnanaにもあったため(掛け合い恋愛声劇、一人朗読声劇etc.)実はそこから「声」に癒されないとダメな私は始まっていたのだと思う。なので、今私がシチュボにお熱なのは、きっと昔から決まってた話だったのだ、と思ってる。

「声」のもたらす効果は、きっと、この時代が求めてるモノと思う

コロナにいかにして向き合っていくか、新しい戦い方を模索している…という記事を私は過去に書いているが、

今こそ、「声」の発信に、意味を見出した人たちが動き出す時なのだと思っている。「声」に揺さぶられまくるけど、「声」で揺さぶることもできる私は、ここを勝機と見て、今、動けるときの時間を、ほとんどTwitterライブ(Periscope)やツイキャス、noteや#ゆるかふぇぼいす の音声発信にあてている。(声が出ないときはnoteなど書く作業にあてている)

全ては、「声」がいかに人に影響を与えて、環境を変える力をもたらすか…私は、この発信活動をあますことなく全てさらけ出して、自分がどうなっていくかで、「成果」を見せたいと思っている。一般社会では、脆弱すぎて沈んでしまった私も、自分にあった「武器」を、人にに影響を生むやり方で使うことができたなら、きっと大きなことを動かせる。

本格的に復帰してきて、まもなく、4ヶ月…すでにいくつかの大きな「つながり」が生まれた。周りの発信活動、それに対する反応を積極的に残して、そこからさらに生まれたよい影響を吸収している。少しずつネット上では環境が変わってきだした気がしている。

今度こそ、ネットだけでは終わらせない。それがこのnoteに包み隠さずさらけ出せる経験は全てさらけ出してきた、その理由だったりする。リアルとの整合性をここで見てもらうため。

だから…必ず、リアルにも影響を生む成果を、私はこの発信活動から作り出す、見つける、引き寄せる。

発信活動を始める時からずっと、掲げてきたテーマがある。死んでしまおうか、を考えた「いつかの自分」が繋いできた日々を無駄にしない。そして同じ状況や似た辛さを抱えた人がもう一度、生きるに舵を切れる、そのひとつのヒントになれるように、これからも発信活動は「声」に関すること、にこだわりたい。

そして発信活動を始める以前でも始めてからでも、私の「声」(言葉)を見つけてくれた人、引き出してくれた人たちに感謝をしたい。今、個別で感謝している人以上に、もっと全体に伝えられるよう、価値を配れるよう、

m.は、弱いなりにも戦い方を見つけて食らいついて行こうと思う。

だって私は、人一倍、「声」が持つ良い力も、悪い力も知っているから。

わからないことをしているんじゃない。だから…やれる。
そのやり方が私にあっているのかいないのか、
問題はそれだけなのだから。
















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