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リープフロッグで世界最先端を行く中国の電子マネー 野口悠紀雄「リープフロッグ」

◇日本の何段階も先を行く中国の電子マネー  

 IT(情報技術)の先端分野で、中国が目覚ましい躍進ぶりを示しています。

 それが最もはっきりした形で見られるのが、電子マネーの著しい発展です。

 日本ではやっとQRコード決済の電子マネーが導入され始めたところですが、中国では、アリペイやWeChatペイという電子マネーが広く使われており、すでに利用者がそれぞれ10億人を超えています。

 屋台の支払いもアリペイ、道端の物乞いもアリペイ、子供に小遣いをあげるのもアリペイといった状態で、旅行者も電子マネーを使わない限り買い物ができません。

 中国の電子マネーは、中国国内だけではなく、東南アジア諸国でも広く使われるようになっています。

 最近の中国の電子マネーは、QRコード決済の次の段階である「顔認証」に進みつつあります。利用者がカメラに顔を見せれば、支払いができるのです。これによって店舗の無人化が可能になります。

 人手不足に悩む日本の店舗も導入したいかも知れませんが、とても無理でしょう。

 中国の電子マネーは、日本のそれに比べて何段階も先を行っていると言わざるをえません。

◇先進国では銀行のシステムが発達していた

 中国の電子マネーは、なぜこのように発達したのでしょうか?

 それは、「ある段階を飛び越えた」からです。

 これを理解するために、日本やアメリカなどの先進国の状況を振り返ってみましょう。

 先進国における支払い手段は、キャッシュ(中央銀行券:日本の場合で言えば日銀券)だけではありません。

 アメリカでは、だいぶ前から、小切手やクレジットカードが使われていました。

 私が1960年代末にアメリカに留学したときに驚いたのは、スーパーマーケットでの少額の支払いにも、ほとんどの人が小切手を使っていたことです。

「キャッシュレス=電子マネー」とされることが多いのですが、小切手こそが、元祖キャッシュレスです。

 クレジットカードもキャッシュレスであり、アメリカではごく普通の支払い手段です。

 日本の場合には、これとは別の支払い手段が発達しました。それは、銀行の公共料金の自動引き落としなどの口座振替です。

 また、1970年代にはATMが導入され、そこから現金を引き出すことができるようになりました。これはキャッシュレスではありませんが、これによってキャッシュを使うことが簡単にできるようになりました。

 当時、これらは世界最先端の仕組みでした。

 ところで、こうした仕組みが機能するには、銀行が発達し、支店がさまざまな場所にあることが重要な条件です。

 小切手もクレジットカードも、銀行に口座を作って引き落とすのですから、銀行がなくては成立し得ない仕組みです。

 日本の場合も同じことで、口座振替もATMも、銀行のシステムをより高度にしたものです。

◇中国の成長の鍵は、リープフロッグ=蛙跳び

 ところが中国では、銀行のシステムが未発達だったのです。

 さらに中央銀行券も、偽札が横行する状態でした。人々はキャッシュを信用していなかったのです。

 そうした状態にあったところに、電子マネーという新しい技術が登場しました。

 このため、小切手やクレジットカード、あるいは口座振替やATMという手段を使うことなく、電子マネーの利用が一挙に拡大したのです。

 つまり、日本やアメリカが辿ったプロセスを「飛び越えた」ということになります。

 中国は、日本やアメリカが通ってきたのと同じ道を辿り、そして日本やアメリカを追い抜いたわけではないのです。

 結局、「中国で電子マネーが普及しているのは、銀行のシステムが発達していなかったからだ」と言うことができます。

 それに対して、先進国では、従来のシステムが広く使われているため、そこから抜け出すことがなかなかできません。

 アメリカの場合、消費者も小切手やクレジットカードを使って決済することに慣れています。また店舗の側でもそれに対応した仕組みができてしまっています。ですから、それを変えることができません。

 さらに、このシステムでは既得権益を持つクレジットカード会社の力が強くなっているため、新しい支払い手段への転換に抵抗するでしょう。

 日本の場合には、銀行が発達して便利に使えるため、電子マネーを使う必要性が感じられません。ATMが(少なくとも大都市では)どこにでもあるために、キャッシュを使うことが不便でないのです。

 以上のようなことを説明するのが、「リープフロッグ」という概念です。

 これは、「蛙跳び」と言う意味です。

 「後から遅れて来たものが、前にいるものを飛び越えて、それより先にいってしまう」という意味です。発展途上国が先進国よりも新しい技術を採用し、そして先にいってしまうのです。

 中国は、マネーの分野においてリープフロッグしたのです。

 中国のリープフロッグは、マネーに限ったことではありません。

 ITやコンピューターサイエンスで、アメリカが長らく世界一の地位を占めていました。しかし、いま中国が、アメリカを飛び越えて世界一の座に就こうとしています。

 もしAI(人工知能)の分野でそれが起こると、世界の覇権バランスが大きく変わる可能性があります。

◇日本の将来をリープフロッグで変える

 リープフロッグは、中国の現状を理解する上で、重要な概念です。

 それだけではありません。歴史の動きを理解するために、多くの場合に有用な概念です。

 歴史は、様々な主体間の相対的な関係が不変のままで連続的に変化していくのではなく、時として相対的な関係を逆転させつつ、連続的に変化していくのです。

 この連載では、「リープフロッグ」の概念によって歴史上の様々な現象が理解できることを示したいと思います。

 日本の将来を考える上でも、この概念は重要です。

 日本は様々な面で、リープフロッグされてしまっています。しかし、これを逆転することも考えられなくはありません。

 現在の日本の閉塞的な状況を打破し、未来を拓くための鍵は、リーブフロッグにあるのかもしれません。

 それを実現するには、リープフロッグのメカニズムを解明する必要があります。

 「日本やアメリカでは、現行のシステムから抜け出せないために、電子マネーが普及しないのだ」と説明しました。

 しかし、どの先進国もそうだと言うわけではありません。

 例えばスウェーデンでは、古くから銀行のシステムが発達していますが、最近は顕著なキャッシュレスが進展しています。

 現金はほとんど使えない状態で、パンを買うにもキャッシュでは買えないそうです。中国と同じような状況になっているのです。

 スウェーデンだけでなく、フィンランドやデンマークなどの北欧諸国においても、同様のことが見られます。

 したがって、「先進国だから変わらない」ということにはなりません。

 リープフロッグが起こるかどうかは、単に技術的な要因によって決まるだけではなく、様々な社会的要因が絡んでいることがわかります。

 リープフロッグはどのような条件下で起きるのか、あるいは、リープフロッグが生じないのはどういう場合なのか、を明らかにする必要があります。

 こうしたメカニズムが分かれば、リープフロッグによって社会を前進させるために何をしなければならないかが分かるでしょう。

(連載第1回)
★第2回を読む。

■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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