出口さんカンバン

出口治明の歴史解説! 蒋介石と毛沢東、どっちが優れたリーダーだった?

歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年2月のテーマは、「大逆転」です。

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※本連載は第15回です。最初から読む方はこちら。

【質問1】大逆転といえば「革命」が思い浮かびます。歴史上誰もが思い浮かべる革命といえば、フランス革命とロシア革命ですが、実際のところこの二つの革命は何を生んだのでしょうか?

 フランス革命は1789年から約10年をかけて、市民が成し遂げたものです。これは世界史のなかでもめちゃくちゃ重要な出来事で、いまの僕たちの暮らしに多大な影響を与えています。政治体制はそれまでの絶対王政から立憲王政、共和制へと移り、ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)がクーデターによって帝政を樹立しました。ナポレオンを生んだことは、結果的にはフランス革命の最大の功績の一つといっていいでしょう。

 ヨーロッパの歴史でキーマンを3人挙げるなら、帝国システムのグランドデザインを描いたローマのユリウス・カエサル(B.C.100~44)、近代国家の基礎を築いたローマ皇帝フェデリーコ2世(1194~1250)、そしてネーションステート(国民国家)を完成させたナポレオンだと思います。

 ナポレオンの功績や影響を数えあげたらそれこそキリがありません。たとえば現代の世界に難民問題が生じているのも、彼がネーションステートを完成させ、新たに想像の共同体を創設して国民を創り上げ、国境管理を厳しくしたことの裏返しです。それ以前は、国民もいなければ、難民もいなかった。以前は、ある部族がごそっと移動をすれば、ほかの国に入り込むことだって容易だったのです。

 さらに1804年に公布された「ナポレオン法典」も、世界に与えた影響が絶大でした。法の下での平等、私的所有権の確立、契約の自由、過失責任の原則などは、いまでは当たり前のように思えますけど、ナポレオンが絶対的な権力者にならなければ、こういった法典そのものが成立しなかったかもしれません。

 アダム・スミス(1723~1790)が『国富論』(1776)で明らかにした市場経済は、私的所有権が不可欠です。法律としてこれを認めたナポレオンは、近代資本主義の基礎を固めたといえます。

 フランス革命といえば、「自由、平等、友愛(博愛)」という有名なスローガンがあります。これは、端的にいえば「理念」をベースにして世界を変えたことを表しています。連合王国(イギリス)の政治家で思想家だったエドマンド・バーク(1729~1797)をはじめとして、フランス革命を否定した人たちも大勢います。バークは著書『フランス革命の省察』(1790)や議会での発言で、「人間はアホな存在やから、何でもかんでも理性では決められへんで。過去の習慣や道徳のほうが大切やで」と保守主義を主張しました。つまり、フランス革命が近代的な保守主義を生み、革新派と保守派が対立する形をつくったともいえます。

 フランス革命に比べれば、ロシア革命(1917)が世界に与えた影響は少し小さいかもしれません。しかし、カール・マルクス(1818~1883)の考えだした「科学的社会主義」という哲学によって国家ができあがり、70年間にわたって維持運営されたのはやはりすごいことです。

 前回の講義で説明したように、世界を二分した東西冷戦構造を背景に日本は経済大国にのしあがりました。そう考えると、ロシア革命の影響を少なからず受けているともいえますね。

【質問2】前回の講義で、出口さんは敗戦国の日本が資本主義国家として復活した理由に、毛沢東が蒋介石に勝利したことをあげていました。なぜ、当初は小さい勢力だった毛沢東は、蒋介石政府軍に勝てたのか教えてください。


 一言でいってしまうと、中国国民党政府を率いた蒋介石(1887~1975)が器の小さい人物だったからです。中国共産党を率いた毛沢東と比較したら雲泥の差がありました。

 蒋介石が張学良(1901~2001)に対してとった態度を見れば、その違いがよくわかります。張学良は、満洲の大軍閥の首領だった張作霖(1875~1928)の長男です。張作霖は気骨のある人物で、当初は日本のいうことに従っていましたが、次第に言いなりにはならなくなっていきました。日本の軍部は彼を持て余しはじめます。

 一方で、張作霖の息子の張学良はハンサムな御曹司で、いつも女性をはべらしては、阿片を吸っているという悪評のある若者でした。「そんな軟弱な人間ならコントロールしやすいし、日本の思い通りに満洲を経営できるやろ」と日本軍が考えたのも無理はありません。日本の軍部は、蒋介石に敗れ北平(北京)から奉天(瀋陽)に戻る張作霖の乗った列車を爆破して、張作霖を殺害しました(1928年)。これで、操り人形の張学良が後継者になれば、ことは簡単だったかもしれません。

 ところが、張学良もまた気骨のある人物でした。父親を殺された張学良は、「日本軍の言うことが聞けるか!」と、青天白日旗(国民党政府の旗)を掲げ父の敵であった国民党政府の軍門に下ります。一人で日本と戦っても勝ち目はないので、国民党を巻き込んで、蒋介石と一緒に戦うつもりでした。

 しかし蒋介石は「共産党と戦うほうが先や」と日本と本気で戦おうとはしません。しびれを切らした張学良は、西安で静養中の蒋介石を拉致監禁し、「共産党と手を組んで、日本軍と戦うべきだ」と説得を試みました(西安事件、1936年)。

 さらに張学良と気脈を通じていた共産党の周恩来が西安に現れ、蒋介石と話し合いを行いました。結局、蒋介石は、共産党と手を組み日本と戦うことを決めます。これはのちに第二次国共合作とよばれる「同盟」に発展します。

 蒋介石を殺すのではなく、「国内で喧嘩をしている場合じゃないだろう、まず日本軍と戦うのが筋だろう」と説得して、国共合作に導いた。クーデターを起こしてまで中国を守ろうとしたのは偉いと、張学良は世界の国々から評価されました。

 しかし蒋介石は、張学良に拉致監禁されたことをずっと根に持っていました。張学良は蒋介石の拉致監禁の一件については特赦を受けたものの、軟禁状態に置かれます。1945年に日本が降伏したことで、蒋介石は第二次世界大戦の勝者となりました。しかし、ここから毛沢東との国共内戦が勃発、1949年に蒋介石が毛沢東に敗れて台湾に逃げることになりました。その時も、張学良は軟禁状態のまま一緒に連れていかれました。驚くべきことに、それから40年にわたって軟禁状態はつづきました。張学良を殺せば世界中から非難されるので、蒋介石は張学良の自由を奪うことで復讐していたのです。蒋介石が1975年に死んだあとも張学良の軟禁状態はつづき、やっと自由になれたのは蒋介石の息子である蒋経国(1910~1988)が死んだあとでした。

 前回の講義で紹介したように、戦後に毛沢東と周恩来が、ラストエンペラーである愛新覚羅溥儀を一般市民として一見自由に活動させてプロパガンダに使ったのとは大違いです。

 さらにいえば、1938年の黄河決壊事件が象徴的です。日中戦争初期、国民党軍は日本軍の進撃を妨害するために、黄河の堤防を爆破してわざと氾濫させました。洪水による犠牲者は数十万人といわれ、広範囲にわたって田畑の農作物が台無しになりました。人々の犠牲をなんとも思わなかったのです。

 「でも、毛沢東だって大躍進政策(1958~1961)や、文化大革命(1966~1976)などで大変な数の犠牲者を出したじゃないか」という声が聞こえてきます。おっしゃる通りで、人命を粗末にしたという点ではこの2人は同じです。ただし、権力を握る前の毛沢東は、人命や人民の暮らしを大切にしたことが、今回のポイントなのです。

 毛沢東が中国共産党軍(八路軍)に徹底させた「三大紀律八項注意」を見ると、「民衆から針1本、糸1筋も盗むな」「民衆の家や田畑を荒らすな」「借りたものは返せ」「丁寧に話せ」「捕虜を虐待するな」など具体的でわかりやすい指示があり、女性への性暴力を禁じるのは当然としても、「婦女をからかうな」といった項目まであります。

 これらが本当に徹底されていたとすれば、毛沢東の軍隊は世界史のなかでもぶっちぎりに行儀のいい軍隊だったことでしょう。一方の蒋介石軍は、真逆の軍隊であったといわれていますから、中国の人々が毛沢東を支持したのは当然のことなのです。

 リーダーの最も大切な仕事は、将来のビジョンを描くことです。そのビジョンは規則やルールに表れます。とりわけ創業者は何もないところから組織をつくりますから、リーダーとしての資質や才覚が明らかになります。

 当時の蒋介石と毛沢東は、人々から見てリーダーとして大差があったのでしょう。すでに権力を握っていた蒋介石は、アメリカの後ろ盾もあってかなり傲慢だった。それに対して、権力を握る前の毛沢東は謙虚で信頼できるリーダーだった。これが大逆転の理由です。

 毛沢東のように人格が変化することはよくあることで、楊貴妃におぼれた玄宗皇帝も治世の前半はとても立派な君主だったのです。

(連載第15回)
★第16回を読む。

■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。

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