小説「観月 KANGETSU」#22 麻生幾
第22話
ガス橋殺人事件 (6)
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萩原はその意味を考えてみた。
地方県警では、機動隊を運用する警備実施部門と、極左暴力集団などを摘発する公安や、外国のスパイなどを追及する外事(がいじ)部門は、警備部という組織の中でまとめられているので、マルガイがどこにいたのかは分からない――。
だが水島課長はあっさりとその答えを口にした。
「大分県警に照会したところ、警備部と言っても現場ではなく、人事や厚生に関係するデスクワークが多かったようだ」
つまり、“キワモノ”の世界ではなかったということか、と萩原は理解した。
「いいか、先入観を持つな。本官であったことと事件とが関連しているかどうかは別の話だ。それからの10年という月日は、様々な人生が積み重なるには十分だ」
水島課長が注意を促した。
だが萩原の思考は別のところにあった。
砂川と菜摘が自分を見つめていることは視界の隅で理解していた。
「萩原主任――」
砂川の言葉に小さく頷いてから萩原は口を開いた。
「妻の恭子は、夫が大分県警に勤めていたことを当然知らないはずもない。それを自覚した上で、オレたちにそれを明確に隠した」
「自分もそう思います」
砂川がそう言って目を輝かせた。
「今から思えば、夫の職場のことについて触れた時の、恭子のあの反応は、恐らく、真実を話すことを拒絶するための緊張感だったんだ」
萩原がキッパリと言った。
菜摘は、必死に理解しようと萩原と砂川の顔を真剣な表情で見比べた。
「明日、一番で、恭子に会おう。黒木も紹介しなければならんしな」
萩原のその言葉に、砂川よりも先に菜摘が反応した。
「了解です!」
別府中央署
長机が並ぶ会議室に案内された七海は、落ち着かない雰囲気で、涼が案内するパイプ椅子の一つに腰を落とした。
ノックの音がして現れたのは、涼と相棒を組む正木だった。
正木は、愛想笑いをすることもなく硬い表情のまま七海を斜めに見据える席に座った。
「お忙しい中、ご協力頂いち感謝します」
その言葉とは裏腹に正木は、頭を下げないどころか、ニコリともしなかった。
正木の後ろに立つ涼は、七海に向かって両手を合わせて懸命に謝っている。
長机の端には、二人のスーツ姿の刑事らしき男たちが座り、部屋の隅にある小さな机の前でまた別の男性がノート型パソコンのキーボードの上で指を構えていて、さらにその傍らの別の机に制服姿の女性警察官が座って七海をじっと見つめていた。
七海は、涼に怒りをぶつけたい気分だった。
涼は、簡単な聞き取りだと言っていたが、何人もの視線が自分に向けられ、えらく仰々しい雰囲気だからだ。
「お時間も貴重やろうけん、本題に入らせてもらう」
そう告げた正木は、持ってきたクリアファイルから一枚の薄っぺらい紙を取り出して目の前に置いた。
七海は、そこに縦に書かれた文字に目が釘付けとなった。
〈供述調書〉
七海は溜息が出そうだった。
――私って、犯人扱いなの?
七海はそれとなく、涼を睨み付けた。
「まず、あんたが襲撃された事件があった10月2日の夜、JR日豊本線、杵築駅に降り立ったんは何時んことか?」
正木が訊いた。
――襲撃事件?
なんか大事になっている、と七海は震える思いで正木を見据えた。
(続く)
★第23話を読む。
■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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