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可視化と対話

社内でスクラム開発しているメンバーと話をして、「どうして御チームではうまく行っているのか」という話を聞いた。そこでとどのつまりは「可視化」と「対話」が重要である、という示唆を得た。第一感これはアタリマエすぎるだろう…だったが、よくよく考えると、こと基本のキをおろそかにするからプロジェクトはうまく行かなくなるのでは?とも思った。

自分はものぐさな人間なので、できるだけ会話は最小限にしたい、余分なアウトプットは出力するだけ無駄だと思ってしまう。それら無駄や余計を省くためプロセスを事前に敷くし仕組み化する主義なのだが、かといって可視化と対話を軽んじてはいけないようだ。

何故それではダメか?でいうと、プロセスも仕組みもそれほど未来を見通して設定できるものではないし、そうである以上、都度チューニングし続けないといけないのだが、可視化と対話を実践しないと、そのタイミングを外したり持てなかったりするからだろう。

チームにはバックグラウンドも意思も何もかもがそれぞれ違う人たちがいて、そこに優劣や軽重ないことを前提とすると、それらしいプロセスや各種の(良かれと思って導入される)仕組みは、その尊厳を奪ってしまうものになりうる。そのような場面に「ノー」と声を上げる人とそれができない人もまた個性であり尊重すべきなので、よって対話が必要になる。

またチームにはビジネス・クリエイティブ・エンジニアリングなど異なる職種のメンバーで組成される。ある人があるアイデアを可視化することで、それを受け取った異職種の人が違う観点からまた可視化する。その「可視化されたボールのぶつけ合い」でプロジェクトは螺旋を描きアイデアは昇華され具体化されていく。よって可視化が必要になる。

(ここでいう可視化は、目に見えるアウトプットを出すことで、それは絵やデザインや図版に限らず、テキストもそれに相当する。唯一、自分が可視化に相当しないと思っているものは「発言」であり、会議などで発言はするものの、その意図を持って誰かが可視化したものにアップデートを掛けない人は、可視化する人とは言えない。とする)

例えばあるプロダクト企画が開発工程の入り口でハレーションを起こしているのであれば、それまでの工程で「何を解決するのか」「何を目指すのか」の可視化が足りておらず、チーム内の意思が統一されていない。つまり口先だけで進めてきた証左なので、開発メンバー含め対話を用いてアイデアを再び可視化する必要がある。

このような事態は、どんなプロセスや仕組みをプロジェクトに導入しても、防ぎきれない・解決しきれないことである。

このように、人が人と働くためには、誰か何を考えていて、それをくまなく掬い上げ混ぜ合わせ、実現したい世界をブラッシュアップし続ける必要があり、チームを構成するメンバーがそれぞれ違う人間であることを考えると、面倒くささはあれ、頻度の高いアウトプットと粘り強い対話が必要になる。

Photo by Mihai Surdu on Unsplash

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