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クリストファー・ノーランと絵画

前回の記事では、映画『インターステラー』でクーパーたちが暮らす家屋のモデルとなった絵画『クリスティーナの世界』を取り上げた。ノーラン作品には他にも様々な絵画とそれらに関するモチーフが登場する。

ノーラン作品に登場する絵画として我々の記憶に最も新しいのは『TENET テネット』に登場したフランシスコ・デ・ゴヤの『The Eagle Hunter』と、ピーター・ポール・ルーベンスの『Studies of Woman』だろう。劇中ではストーリーを進める重要なキーとしてこの二つの絵画(の贋作)が登場する。以下はそれらの特徴をまとめたものだ。

『The Eagle Hunter』

【作者】フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)。スペインの宮廷画家。
【製作年】1812年〜1820年
【絵画のサイズ】20cm×14cm(A5よりひと回り小さい)製作年:1812年〜1820年

『Studies of Woman』

【作者】ピーター・ポール・ルーベンス(Peter Paul Rubens)。オランダの画家で外交官。
【製作年】1628年
【絵画のサイズ】44.9cm×28.9cm(A3よりひと回り小さい)
【描画の背景】ルネサンスのイタリア人画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオの絵画『ディアナとアクタイオン』を見て感銘を受けたルーベンスが、その絵画に描かれた女性の姿をスケッチしたものと言われている。

ゴヤとルーベンスはまったく違う時代を生きた画家だが、すでに多くのファンが言及しているとおり、彼らにはローマ神話に登場する農耕神サトゥルヌスをモチーフにした絵画『我が子を食らうサトゥルヌス』を描いたという共通点がある。
『我が子を食らうサトゥルヌス』は、ローマ神話に登場する農耕神サトゥルヌスが「我が子のひとりによって王座から追放される」との予言に恐れを抱き、自分の息子5人を次々に喰らったという逸話をモチーフにした絵画だ。ルーベンスは1635〜1638年頃、ゴヤは1820〜1823年頃にこの絵を完成させた。彼らの絵画に描かれたサトゥルヌスは、自分の息子諸共に世界を破滅させようとしたセイターを彷彿とさせる。

セイターは「子どもを授かったことは最大の罪だ」と発言していることから、反出生主義者であると考えられる。反出生主義とは、子どもを持つことに対して否定的な意見を持った人たちのことだ。では、彼らはなぜ子どもを持つことに否定的なのか? その理由のひとつに「人口増加による環境問題」が挙げられる。子どもを作らない、つまり人口を増やさなければ天然資源や食料などの枯渇を回避できるという考え方だ。
本編の終盤では、セイターが環境問題(地球温暖化)について語るシーンがある。「エントロピーを減少させて地球をリセットすれば、環境問題を回避して新たな生命へとバトンタッチできる」という趣旨の話だ。地球温暖化や資源の枯渇は我々の責任であり、だからこそ自分たちで地球をゼロの状態にまで元通りにする義務がある。子どもを持つことに否定的であり、尚且つ環境問題への懸念を示すセイターは、反出生主義、もしくはかなりそれに近い思想を持った人物であると言える。

さて、ふたつの絵画の共通点にフォーカスしたところで各贋作の話に戻ろう。
ルーベンスの絵画は『ディアナとアクタイオン』のスケッチだが、これは猟師アクタイオンが女神ディアナの裸体を誤って見てしまった場面を描いたもので、このあと猟師アクタイオンは女神ディアナによって鹿に姿を変えられ、彼が飼っていた猟犬に食い殺されて死んでしまう。『テネット』に登場する贋作では、描かれていた女性は6人から2人に減っており、女神ディアナと別の女性ひとりだけがスケッチされている。

まずここで考えられるのは、トマス・アレポはアクタイオンを内包するキャラクターであるということだ。アクタイオンは誤って女神に近づきすぎたことで結果的に死んでしまったが、アレポもキャットに近づきすぎたため生かさず殺さずの状態になっている。女性の艶めかしさを描いたアレポの贋作は、セイターがキャットを脅すための格好の材料となったものであると考えられる。

ではゴヤの贋作に関しては、なぜ数あるゴヤの絵画の中でも『The Eagle Hunter』でなければならなかったのだろうか。

『The Eagle Hunter』は、元々「取るものは取られる(He who would take will himself be taken.)」ということわざを絵に描いたものであると言われている。この絵画では、断崖絶壁にある鷲の巣からひとりのハンターが雛を狩ろうとしており、彼の後ろでは一羽のうさぎを咥え巣に帰る親鷲が描かれている。ハンターは、このあと自分が親鷲に攻撃されることも知らずに雛を奪おうとしているのだ。

幼い子と、子を奪おうとする第三者、そして我が子を奪おうとする者へ攻撃を仕向ける親。この構図とストーリー性に心当たりはないだろうか。実はこの絵画で描かれている三者は、劇中のキャットとマックス、そしてセイターとまったく同じ役割を担っているのだ。『The Eagle Hunter』で描かれている三者を『TENET テネット』に置き換えると、

ハンター:セイター
奪われようとしている雛:マックス
戻ってきた親鷲:キャット

となる。個人の見解ではあるが「取るものは取られる」ということわざを絵画として描いたものが『The Eagle Hunter』であり、映画として描いたものが『TENET テネット』ではないだろうか。

『Study for Head of George Dyer』の作者とモデル、描画の背景


作品内に登場する絵画といえば『インセプション』の冒頭に出てきた『Study for Head of George Dyer』も非常に印象深い。

『Study for Head of George Dyer』

コブとモルが話すオープニングシーンで壁に掛けられているこの絵画は、イギリスの有名画家フランシス・ベーコンが描いたものだ。本編ではモルがこの絵画を眺めるシーンがあるが、なぜ『Study for Head of George Dyer』でなければならなかったのか。
ここで注目したいのは、絵画のタイトルにもなっているジョージ・ダイアーはベーコンの自死した元恋人の名前で、モルとダイアーは自死、コブとベーコンは残された者という共通点があるという点だ。

1971年、ベーコンや彼の周りの評論家たちとの身分や階級の差に悩んだダイアーは、大量の睡眠薬を服用し自死した。その数日後、ベーコンはパリのシャンゼリゼにあるグラン・パレという美術館で行われた展示会で国際的な注目を集めるのだが、ベーコンが「画家として最高の栄誉に浴した日」と「ダイアーを亡くし悲観に打ちひしがれた日」が重なっている点に着目したい。
『インセプション』でも、モルがビルから飛び降りて自死したのはコブとの結婚記念日であり、彼らにとって幸せな日になるはずだった。劇中でモルがベーコンの絵画を眺めるシーンは「自分と同じように自死した人を見つめる」という構図になっている。
自ら死を選んだ者と、残された者。さり気ない絵画のワンシーンにも、登場人物のバックグラウンドを思わせる監督の仕掛けが施されているのだ。

フランシス・ベーコンの絵画は『インセプション』以外のノーラン監督作にも影響を与えている。『ダークナイト』のメイクアップデザイナーはノーラン監督から「ジョーカーのメイクの参考に」とフランシス・ベーコンの絵画を勧められており、実際にジョーカーのメイクにもベーコンのタッチの特徴が色濃く反映されている。ノーラン監督は「彼(ベーコン)の絵画を最初に見たのがいつだったかは覚えていないが、ずっと好きな画家だ」と語っており、某インタビュー動画ではベーコンの画集『Five Decades』を紹介している。

画家マウリッツ・エッシャーと『インセプション』

ノーラン監督は、数学的アプローチで有名なオランダの画家マウリッツ・エッシャーの絵画も作品内に取り入れている。『インセプション』ではエッシャーの代表作のひとつ『上昇と下降』で描かれた無限階段が実際に造られた。

マウリッツ・エッシャー『上映と下降』

この絵画で描かれた無限階段はペンローズの階段と呼ばれるもので、三次元の世界では実現し得ない「不可能図形」である。二次元でのみ実現可能なため、現実では建築できないが夢の世界では建築できるという設定で登場する。

ペンローズの階段

『上昇と下降』は2016年6月に上野の森美術館で開催されたエッシャー展でも展示され、作品概要には『インセプション』のワンシーンの説明が記載された。またロバートの父であるモーリス・フィッシャー(Maurice Fischer)はマウリッツ・エッシャー(Maurits Escher)から命名されたと言われている。

│ モチーフになった絵画と文化心理学的観点

ここでノーラン作品に登場した絵画の特徴を文化心理学の視点で振り返ってみよう。文化心理学とは、文化と人間の相互関係や影響過程を研究する学問を指す。「人間の心は文化の影響を受けて育まれるのではないか」という可能性に焦点を当てた研究分野で、絵画においては、東洋と西洋では文化の差によって思考スタイルや対象物の捉え方、注意配分が異なるとの見解がある。
以下、東洋と西洋の絵画に見られる特徴と思考スタイルをまとめた。

【東洋】

認識法:包括的注意。コンテクスト思考。対象物の周辺、状況、関係性にも目を向けた描写
世界観:包括的世界観。仏教、陰陽五行、禅など。物事は常に変化しており、他の現象と結びついているという考え方
被写界深度:浅い
地平線:高い
視覚芸術:俯瞰図、パノラマ図的な描写法で見る者を一点に縛らない(例:鳥獣戯画)

【西洋】

認識法:分析的注意。オブジェクト思考。状況や背景に惑わされず、対象物を的確に見出し、その属性に着目する
世界観:分析的世界観。キリスト教、ユダヤ教、ギリシャ哲学など。物事はそれ自体で定義されるという考え方
被写界深度:深い
地平線:低い
視覚芸術:ルネサンス期以降は線遠近法の研究が進み、見る者を一点に縛る描写法が発展した(例:モナ・リザ)

※東洋と西洋それぞれの文化で育まれた認知傾向や絵画の表現技法には上記のような差異が見られるが、現代において必ずしもこの限りではない。

ノーラン作品に登場する絵画を例に挙げるとすれば、『Study for head of George Dyer』は対象物を真ん中に大きく配置したオブジェクト思考であり、『クリスティーナの世界』は被写界深度が深く地平線も低い、どちらの絵画も西洋的な描写であると言える。

このようにノーラン作品には暗喩のように様々な絵画が登場する。散りばめられたアイテムをひとつずつ紐解けば、ノーラン監督のこだわりや遊び心をより深く堪能できるかもしれない。