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あの幸せな気持ちはまた感じたい

我が家の朝は早い。

夫も子供も6時台に職場と学校に出かけていく。

今日は連休明け
朝から市場へ出かけて野菜を買い
帰宅してから、Audibulで聴く読書をしながら、あまりゴミを出さないでいいように、野菜をひたすら切り、ジップロップに入れて、昨日買った鶏肉を煮込み、とにかく切らないでいいように。

冷蔵庫の中をまだ切ってない野菜
もう切って調理しやすくした野菜とか。整理整頓して

嬉しくも困るもあるのが、こんなつもり〜〜で切っておいた野菜など、予期せぬタイミングで料理のできる夫が使っていってしまうため。。。笑

作らないで済んだー!!
ありがと〜〜!と言う気持ちと
あれ食べたかったのに〜〜!と言う気持ちとの混在。
大体ありがとうですが🎵

しかし、朝のうちに終わらせとかないとゴミは朝のうちに出しておきたいのでひたすら頑張る。

今まで、仕事をしてきましたが。
本当に本当に、授業をするのが学校という現場で仕事をする中で

一番嫌い

でした。笑  なんで教員になったの?って感じですよね 笑

支援学校に勤務。特に医療的ケアが必要な重度心身障害児の通う学校に勤務していると
登校してくると まず
バイタルチェック
おむつの確認。交換
車椅子から移動してベッドに移ったり移動が多いので、あってはならないことですが、ぶつけたり、おむつや体につけている装具などがきつすぎるとアザができたりすることもあるのと、家からそのような状態で来ることもあるので、そういった全身のあざだったり発疹などいつもと違うところがないのかくまなくチェック

胃ろうからの栄養分等の水分注入

気管切開をしていたり、痰が多い場合はその都度、吸引が必要になります。
連絡帳を確認したり、あるいは保護者の方がついてきたりするので、前日に帰ってから変わりがなかったか、発作などがなかったか

あれこれ話しかけながら看護師さんとテキパキととにかく体のケアがされていきます。

一般校だったり、知的障害がある子供の学校とは相当かけ離れた勤務内容ですよね。子供がいる時間の半分以上はずっと体のケアがメインになってきます。定時で吸引が必要な子もいれば、いつ排痰するかわからないし、すぐに吸引してあげないと詰まってしまうような子はいつでも吸引器をそばにおいてスタンバイ。しながらの授業になります。

私。この体のケアをしている時が一番大好きだったんです。
本当に幸せを感じられる瞬間でした。とても愛おしい気持ちでいられる。

外から見れば、そのケアは、看護師さんがいるから任せて授業したら?と見えるのかもしれません。。。
そこに関しては長年、重度心身障害児と関わっていないと絶対に分かり得ない世界があると思います。

体のケアをして、排泄の様子、体の様子、吸引した時の痰の色などの様子。
毎日のそのスキンシップがないと、各生徒の理解には全く繋がらないんです。

私が言うそういった生徒というのは、
喋れません。
自分で体を思いのままに動かすことができません。
目が開いたままで閉じれない
口が開いたままで閉じれない

あまり言いたくありませんが、世間的に分かりやすく言うと
植物人間状態と言われる子供から、友達や先生を誰だか認識している子供まで幅広くいます。
おそらく、その、植物人間、、、と言われる子供には、普通に生活していると出会うことはまずないと思います。

今までそういった方と出会う経験がなかったら、おそらくギョッとすると思います。実際に実習などできた学生さんの中には立ち尽くしていた生徒さんもいました。

喋りかけても反応もないし、何も返ってこない
教員たちは当たり前のように独り言のように喋りかけてるけどなんで???って。

その違いは、慣れたからではなく
ちゃんと返ってくるものがあるからなんです。
その返ってくるものは
日々のそのケアを通してするスキンシップとたくさんの言葉掛けがあるからこそわかるんです。

あの子たちには、健常者の私たちには感じにくい第六感みたいなものがすごくすごく研ぎ澄まされてあると思っています。
確かに聞こえているかも見えているかもわからない。そんな子でも、本当にその場その場の空気を読んでいることがわかることが多々あるんですよ🎵

たくさんたくさん関われば関わるほど、目は閉じなくても、起きているのか寝ているのかも、見た目にはわからない。
そんな子でも、日々関わっていれば、眼球の潤いや瞳孔の様子、目の様子で今、起きてるのか あ!!からかったから怒ってる!!
泣いてるの??など表情豊かに伝えようとしてくれているのがわかってくるのです。

とにかく、そんなやりとりがとても愛おしい。。。
なので、前に立って授業をするのがとても嫌いでした。

授業の中で、ゆっくり
ゆっくり。反応を見ながら進めていくのは好きなんですけど

そこに至るまでのプロセスがとにかく苦痛だったんです。

そこには、そんな職場からこその生徒ひとりひとりに対して大人も同じくらいの人数がいるんです。
そして本当に色々な教員がいます。性格も違います。その教員一人一人も得手不得手があります。
みんなで楽しくできるようには、そんな大人の方への配慮も考えて教材準備や、どう説明したらできるのかあれこれ考えねばならず

よく作られる指導略案。
あんなものは役に立ったことは正直ほぼありませんでした。

理由
みんな日々の仕事に追われていて
配られていても、あれをちゃんと読んで授業に来てくれる人なんてほぼいません。予期せぬこと予期せぬものが教材に使えたりすることなんて日常的にあるので授業の始まりに、分かりやすく生徒に対しての説明と大人への指導点の説明を分けてメリハリをつけて説明した方がよっぽど早いこともあります。

とにかく大人が楽しめていると、子供たちも穏やか

これは鉄則でした。

海外に来て、夜、寝るときに、明日授業嫌だな
明日会議。。。嫌だな。。。
朝起きて、学校か。。。。泣  なんて思いながら過ごす毎日から解放されたのは本当に幸せですが、あの幸せな空間には、また自分から向かわないと出会えないのかと思うと少し寂しい気持ちです。

そんな子たちの場を自分で作ったらいいのか!!
と少し動こうかとも思っていましたが、しばらくは海外のこの地でボチボチとやっていきたいと思います。

きっとまだまだ進んでいない障害者福祉の世界
こちらの国でそんな子供たちと関われる場所も少しずつ探しています🎵



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