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女帝の時代

九條です。

我が国最初の女帝(男系の女性天皇)である推古天皇にはじまり平城京の遷都を実現した元明天皇までの時代は、女帝が我が国の政治や文化に大きな影響を与えた(大きく貢献した)まさに、

「女帝の時代」

だと言っても過言ではないかと思います。以下、ごくごく簡単にその事績を見たいと思います。

【推古天皇】(在位:592年〜628年)
※我が国最初の女性天皇
厩戸皇子(聖徳太子)などと協力して、
○仏教を推進
○冠位十二階の制定
○十七条憲法の制定

【皇極天皇】(在位:642年〜645年)
○乙巳の変とその後の大化改新による国政の一新 

【斉明天皇】(在位:655年〜661年)
※皇極天皇の重祚ちょうそ

【持統天皇】(在位:690年〜697年)
○飛鳥浄御原令の制定
○藤原京の造営
○神宮(伊勢神宮)式年遷宮開始?

【元明天皇】 (在位:707年〜715年)
○平城京遷都
○『古事記』完成
○『風土記』編纂事業
○貨幣「和同開珎」鋳造


この中でも私はとくに個人的には推古天皇(豊御食炊屋姫尊とよみけかしきやひめのみこと)と持統天皇(鸕野讚良皇女うののさららのひめみこ)が好きです。

どちらの女性も『日本書紀』などを読んでいますと、強い意思と未来を見据える確かな眼差しと、大胆な決断力、そして多くの人(群臣)から尊敬され愛される教養と魅力を持った女性だと思います。

推古天皇のお名前「豊御食炊屋姫尊」(とよみけかしきやひめのみこと)は「料理が上手なお嬢さん」という意味だとも考えられます。

また、持統天皇のお名前「鸕野讚良皇女」(うののさららのひめみこ)は、地名に由来しますが「さらら」というお名前の響きがステキですね。^_^

奈良の薬師寺は、天武天皇が妻の持統天皇の病気平癒を願って建立の発願をされたお寺ですが、天武天皇が完成前に崩御されたので持統天皇がその意志をついで天武天皇の菩提を祈って造営されました。ですから薬師寺には天武天皇・持統天皇というご夫婦の想い出がいっぱい詰まっていると思います。

現在、奈良の飛鳥地域には、天武天皇と持統天皇が一緒に眠られている古墳「天武・持統合葬陵」(天武持統檜隅大内陵=野口王墓古墳)があります。

私は何度も訪れた事がありますが、近くには史跡も多くあって良いところですよ。「やまとは国のまほろば」です。^_^

【おもな参考資料】
○国史大系版『日本書紀』吉川弘文館 1973年
○『國史大辞典』吉川弘文館 1979年
○佐藤信『古代史講義 ― 邪馬台国から平安時代まで ―』ちくま新書 2018年
○佐藤信『古代史講義 【宮都編】』ちくま新書 2018年
○東郷茂彦「陵墓の治定替についての一考察 : 天武持統合葬陵を中心に」『神道宗教』2013年
○加藤一郎「【陵墓関係調査報告】〔天武天皇  持統天皇〕檜隈大内陵鳥居改築工事に伴う立会調査」『宮内庁書陵部紀要68』2017年


©2022 九條正博(Masahiro Kujoh)
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