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小野小町のファッション

九條です。

小野小町おののこまちといえば、平安時代の絶世の美女として知られていますね。「○○小町」は美人の代名詞?

彼女は実在の人物です。六歌仙の一人で、

花の色は
うつりにけりな
いたづらに
わが身世にふる
ながめせしまに

(『古今和歌集』百十三番)

という、たいへん有名な歌を残していますね。彼女が晩年を過ごしたと伝えられている京都市山科区やましなくにある随心院ずいしんいんへも私は10年ほど前に行ったことがあります。

さて、この小野小町さんについて。

皆さま、彼女はどのようなファッションをしていたと思われますか?

おそらく多くの人が、下の絵のような「女房装束にょうぼうしょうぞく(十二ひとえ)」の姿を想像されるのではないでしょうか?

女房装束(十二単)

小野小町さんの生没年については、はっきり分かっていないのですが、だいたい9世紀の第1四半期(西暦825年頃)から10世紀初頭前後(西暦900年前後)の間に生きた人だろうと考えられています。

いっぽう、上の絵の「女房装束にょうぼうしょうぞく(十二ひとえ)」は、平安時代の中頃すなわち10世紀〜11世紀頃(西暦900年〜1000年頃)になってから登場した衣装だろうと考えられています。

ですから、小野小町さんは「女房装束にょうぼうしょうぞく(十二ひとえ)」が登場するよりも少し前に生きた人だと考えられるので、彼女はおそらく奈良時代以来の采女うねめが着ていたような服(命婦礼服みょうぶらいふく)かこれに類似したスタイルのものを着ていただろうと考えられています。意外ですよね。

命婦礼服

この「命婦礼服みょうぶらいふく」は西暦757年に施行された『養老律令ようろうりつりょう』のなかの「衣服令えぶくりょう」に規定されています。

私は個人的には、平安時代中期の「女房装束にょうぼうしょうぞく(十二ひとえ)」よりも奈良時代の「命婦礼服みょうぶらいふく」のほうが好きなのです。^_^


【おもな参考資料】
◎佐伯梅友 校注『古今和歌集』岩波文庫 1981年
◎赤羽根龍夫「小野小町考」神奈川歯科大学 1987年
◎井上光貞/関晃/土田直鎮/青木和夫 校注『律令』日本思想史大系(岩波書店)1994年


©2022 九條正博(Masahiro Kujoh)
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