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固定概念を捨てよ

先日読んだ「暮らしのおへそ」の中で書かれていたのです。

母として、妻として、やらなくちゃならないこと=家事だったり、ご飯作りだったり。
そうなると自分の時間がなくなってしまう。
だから、時短のクッキング鍋だったり、ルンバくんだったりに頼りました、と言うもの。

また、ある方のnoteの記事で、社長なのにトラックを乗り回している!という文章。

固定概念っていうものは、本当に「固定」しちゃうんですよね。
いつのまにか、あるべき像、に変身したりして、こうあるべき!に変換されてゆく。
母はこうあるべき。妻はこうあるべき。社長はこうあるべき。

…。

これが他人軸になってしまう原因の一つかもしれません。
今の令和世代は多様化時代になっていますが、昭和の人間はそれが色づくよく残っています。また昭和の親を持つ平成世代も、まだ残ってるかもしれません。

私もまた、そういう固定概念にぎゅっぎゅっと縛られて生きてきました。
おかしな話かもしれませんが、妻は家庭に入るもの、というのもその一つでした。

固定概念の束縛からの脱却って、とても難しいです。
今でも難しいなって思うんです。
妻は家庭に入るもので入った主婦が、正社員になることへのハードルは高く感じます。

これは、行動力の喪失、でもあると思います。

でも、それは多分、とってももったいないことなんだ!と気づきました。

固定概念を捨てて、行動してみる!
失敗はもう想定済みだからいいじゃないか!と、開き直る!

言うは簡単で、大きなことは当然まだそんなことはできません笑

なので、本当に小さいことですが、
家族のご飯、毎晩作ることは良いのですが、家族が求めている献立はやめることにしました。

(家族のために作る)という自分の固定概念を捨てました。
私は毎日お肉も食べたくないし、毎日鍋とか最高だと思ってるので、今は好きなものを作ります。

主人の食べたいものは、私とは違って揚げ物やカレーや、ハンバーグ。
なので、それらは買ってしまって、サラダや副菜を作っておきます。

本当に小さいことなのですが、私は毎日かなり精神的にラクになりました。

別に「作れ」と言われたこともなく、いつも「なんでもいい」と言ってくれるし、面倒ならレトルトでも構わない主人です。
なのに、私はずっと、「ご飯を作らねば!」という固定概念に、20年以上囚われていたわけです。

この出来事?がきっかけで、少しずつ固定概念を取り外しています。
心に新しい空気を入れる、というか、そんなイメージです。

自分の思うペースで、自分の固定概念をひとつずつ外していけば、オープンになれるし、余裕も生まれるし、明るくもなれるし、人に優しくもなれます。

今日は金曜日!
金曜日に晴れてると、うれしいです。
好きな動画がたくさんアップされるのも金曜日!
空を見上げて歩きましょう。

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