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愛のままにわがままに本は私を裏切らない

おべん・チャラーとは、小説家になるという夢を燻らせながら、ホワイト企業の皮をかぶった、どブラック企業で馬車馬の如く労働するど畜生である。

以前に書いたが、私は「おはなし」と「マンガ」が大好きである。
どのくらい好きかというと、小さい頃お気に入りのマンガを読んでいる最中に「ご飯よ」と呼ばれた時、読んでいるページを開いて伏せたまま長い時間放置してしまい、お気に入りのマンガにすっかり開き癖がついてしまって泣いたほどのマンガ好きである。
その時を境に私は「しおり」を覚えた。

本日は好きな小説と小説家を語ろうと思う。マンガまで語ろうかと思ったが、思いの外長くなりそうなのでまた次回にする。
具体的に本日語るのは、
・森見登美彦
・ハリー・ポッター
・ミヒャエル・エンデ
・有川浩
である。

最初に逃げ道を作っておくと、私はオタクとしてはぬるオタ(ぬるいオタク)に属する。
浅い知識で語るので、もし沼の住人とかがこの記事を見ても生暖かい目で見ていただけるとありがたい。

すっかり私の中で神格化した森見登美彦

二日間noteを書いてみて気づいたのが、私の書く記事がすっかり森見登美彦氏の書く「腐れ大学生」の語り口調みたいになってしまっている。

(うぎゃあ、自分で言ってておこがましい……先生とファンの皆様ごめんなさい!!先生の書く腐れ大学生、大好きです!!!!)

もっと大それた事を言うと、実は昔から素で語り口調の文章を作ってしまうので、森見先生の
「夜は短し歩けよ乙女」
「四畳半神話体系」
「太陽の塔」
を読んだ時は、最初から私も先生の作品の一部だったんじゃないかというくらい、腐れ大学生達にシンパシーの様なものを感じていた

(やだ、なにこの人…自分で言ってて気持ち悪い…思い上がりが甚だしい…)

しかし腐れ大学生なんてのは、先生の魅力の氷山のほんの一角なのである。

腐れ大学生から一転、正義の味方と怠け者の「聖なる怠け者の冒険」
たぬきがぽんぽこ可愛い「有頂天家族」
と思ったら怖くてガチで眠れなくなった「きつねの話」
現代版千夜一夜物語「熱帯」

他にも素晴らしい作品がいくつもある。
私は一度図書館で作品全て読んだが、全て好きすぎて全て文庫で買った。それくらい好きなのである。因みにその時は一気に6000円分使った。

今となっては大人気作家。「作家は机上で空想する」「ぐるぐる問答」、関係ムックや対談本となると、安月給には追い付けません、先生!(泣)買いましたよ、ええ!!

森見氏の作品は全て好きだが、私にとって外せない三作は、

「夜は短し歩けよ乙女」
「恋文の技術」
「ペンギン・ハイウェイ」

である。
私はこれを「森見登美彦・初級編」と心の中で読んでいる。

「歩けよ乙女」と「ペンギン・ハイウェイ」は森見ファンタジーましましでさらりと読める。
「恋文の技術」は全て読んだ時、絶対文通武者修行がしたくなる。ついでに恋文も書きたくなるかもしれない。

まだ森見登美彦の小説を読んだ事の無い人に、是非おすすめしたい三作である。
それを踏まえて四冊目には「太陽の塔」を読んでいただきたい。

世界の王道「ハリー・ポッター」

おべん・チャラーは日本で静山社がハリー・ポッターの日本語訳本第一巻を出版した、どんぴしゃその世代の人間である。

世界が湧き、日本中が湧いた。もれなく私も含まれていた。

当時の家計は、小学生にねだられてよくわからないハードカバーの児童書(母視点)をほいほいと買い与えるほど、潤っていなかった。

仕方なかったので2巻までは従姉妹に借りて読んだ。面白すぎて何回も読み返した。
3巻は母よりものを分かってくれた父が買ってくれた。父さんありがとう。

4巻からは二冊編成になって更に値が張ったが、少ないお小遣いを貯めて自分で買った。段々と殺伐になる作品の雰囲気だったが、ハリーと一緒に大人になった私は自然とついていけた。

一緒に青春を生きて何度も読み返した、私にとって一番大切なシリーズだ。

運命の出会いミヒャエル・エンデ

私は小学生時代から中途半端な潔癖性なところがあったので、図書館の本には基本的に触らなかった。
基本的に小さい頃は圧倒的に情報に疎かったので、世界の名作めいたものはほとんど読んだことがなかった。

因みに当時母に「小説が読みたい。買って」と言えば、返ってきた答えは「家にある赤川次郎を読んどけ」だった。
三姉妹探偵団は3までしか揃ってないし、三毛猫ホームズは一冊だけだった。あとは単行本の殺人ミステリー系や探偵ものがチラホラ。
小学5年生におすすめするのはどうかと思いますね。当時一番読んだのは「殺意はさりげなく」でしたけど。

閑話休題。「ミヒャエル・エンデ」という名前を母は知らなかったが、「ネバーエンディング・ストーリー」は知っていた。幸いの竜が出てくるファンタジー映画は母にとてもおすすめされたが、私はそれをずっと拒んでいた。
何かの再放送で本編をチラッと観たのが記憶の片隅にあるのだが、当時の人形全開のフッフールは目玉がギョロリと動いて恐かったのだ。

人形なマスター・ヨーダやほとんど着ぐるみチューバッカなど目ではない。
首までしか映ってないテレビ画面の中で、ふさふさの白い毛を生やしてガラス玉みたいな目をギョロギョロさせる幸いの竜・フッフールは、ただの大きいグレムリンだった。
因みに私はグレムリンも恐くて好きじゃない。

そうして名作に触れないまま時は過ぎ、「ハリー・ポッター」でファンタジーに触れた私は「最高のファンタジー作家」として「ミヒャエル・エンデ」を知る。

ネバーエンディングストーリーを読んでみたいが、どこで手に入れればいいものやら…本は極力実店舗で買いたい派だが、やっぱりネットか?でもすごく昔の作品だし高いのでは……
なんて考えていた矢先、父方の祖父母の家(祖母が断捨離中)に遊びに行った。

私「本読むのが好きなんだよねー」
祖母「あらそう、ちょうどよかった。あんたのおばさんの若い頃の持ち物だけど、持ってくかい?」

祖母が持ってきたのは赤い装丁のハードカバー!!
背表紙を見て私は凍りついた!「果てしない物語」!!

これほどに私は本と運命を感じたことは、後にも先にもこの一度きり…。私は祖父母の家で思わず叫んだ。「ネバーエンディングストーリーじゃん!!」

いただいたその本は、本当に寝食を惜しんで読んでしまった。一つの物語にいくつもの物語が織り込まれていて、本当に終わりがない。だからバスチアンの物語が終わった時はボロ泣きしてしまった。深夜に。

(こんな事を晦日の早朝薄暗い時間に書いてたら、まさにその映画が日が上った朝9時から放送していた。)

その後図書館で「モモ」を借りた。その本こそ現代日本人が読むべきである。出来れば、全国民に教科書として無料配布していただきたい。
本当の時間泥棒は、趣味に没頭する事でもスマホゲーでも無くて「心をなくして働く」事である。

少女マンガを読んでいる様な読後感、有川浩

「図書館戦争」シリーズで読み始めた有川浩だが、実はデビュー作の「塩の町」が、私が若気の至りで応募した電撃文庫大賞を受賞した作家だった事に気づいて、何となく運命のようなものを勝手に感じている。

彼女の作品はみずみずしい春の様な感性の作品ばかりなのだが、その中でも私が好きなのは
「三匹のおっさん」
である。

女子中学生時代にテレビで再放送している時代劇の「水戸黄門」にどハマりした私は、予定調和(お約束)とか勧善懲悪といった物語が大好きだ。

主人公は三人のおじいちゃんに近いおっさん達だが、若い感性で書かれた文章にはただ温かい愛を感じる。

いくつになっても、名作を読むのに遅いことは無い。

私の読みたい名作は大体児童書に分類される事が多いので、ちょっと怪しいのだが図書館の児童室で借りる様にしている。

借りに行くのはちょっと恥ずかしくて勇気がいるのだが、世界の名作に触れずに人生を終わる方がよっぽど損をする。

本は色々な気づきや知識を与えてくれる。本は私を裏切らないのだ。

神からの投げ銭受け付けてます。主に私の治療費や本を買うお金、あと納豆を買うお金に変わります。