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最初で最後の青春時代

私にとって人生最初で最後の部活は、高校生で3年間在籍した「美術部」である。

剣道やマンドリンや合唱に憧れた事もあったし、高校時代は兼部可能だったが、当時そろばんを習っていたので兼部は出来なかった。因みに世にいう「文芸部」に一番憧れていたが、ついぞお目にかかれないまま学生の身分を卒業してしまった。

美術部と言っても貧乏だったので、油絵しかできなかった。顧問(美術教師ではない)が教える事が出来るのが、油絵しかなかった。教えるといっても「油絵の基本」みたいなビデオを見せてもらっただけだし、何なら顧問は美術教師でないと前述したが、そもそも私が入学した時点で、うちの高校に美術の授業は無かった。

なのに何で部だけ残っていたのだろう。不思議である。美術室が残っていたからなのだろうか?

美術部でたまに油絵を描いて大会に出品しつつ、放課後に部室に集まってくだらない話で盛り上がりながらお菓子をつついたのは、リアル放課後ティータイムだった。

そんな緩い日々でも、私にはまぎれもなく青春であった。

その青春の日々は、先生方の大爆笑から始まったのを、今でも忘れていない。


「美術部見学したいんですけど」の一言で、職員室中が大爆笑したあの日

当時一緒の中学から入学した友達と、美術部に入りたいね、と話していた。

先輩方による部活紹介が体育館で行われたその日、美術部の活動紹介がそういえば無かったなー、と思っていた。勇敢なる我が友人は放課後、職員室に乗り込み、「美術部見せて下さい」と言った。

職員室にいた先生方がみんな、声を上げて笑った。どうやら部員もいなくほぼ廃部同然だったらしい。その中で一番声を上げて笑っていたのが、顧問だった。因みに二人いた顧問は、2,3年に上ってから私のクラスの担任と副担任になった。友人達は別クラスにいたので、私と顧問達だけが地味に三年間のお付き合いとなった。

自由しか無かった部活動

部活は基本やりたい放題だった。友人は新入生から部長になった。顧問はいない時間の方が多かった。先輩もいないので監視の目も無かった。お菓子も持ち込み放題だったし、校内の自販機には学校一近かったし(多分)、窓から中庭へ出入りが出来たし、ゲームを持ち込んで日が暮れるまで遊べたし。(絵を描け)

多くの時間を過ごし過ぎて、部活の思い出と言っても一口に語れないのが我が美術部だった。そもそも顧問がおかまの英語教師とおじいちゃんな数学教師である時点で、キャラが濃すぎる。渋滞している。

おかまは部長の油絵に、アドバイスのつもりで下手な朱色の自転車を書き足した。顧問は部長にものすごく怒られた。

おじいちゃんは、おかまが油絵についての講釈を延々と垂れている間、部室にあるソファで完全に寝ていた。顔が見えない様に「授業中の居眠りスタイル」をとっていたのが、逆に愛らしかった。

一番最初の部活動は、「使われていなかった美術室の掃除」だった。ゴミ箱からは何年か前に在籍したであろう先輩が食い散らかしたミス〇ードーナツの箱が出てきた。どうやら中身が入っている様だったが、怖くて開けられなかった。

部室を飾り付けてみんなでパーティをしたりした。ハロウィンとかクリスマスとか。毎日がパーティだったから、いつもと特に変わり映えはしなかった。

部活のおかげで毎日が楽しかった。油絵もなんとなくやったらなんとなく一回だけ奨励賞をいただけた。

思えばあの時点で、私たちが卒業した後に校舎の取り壊しとかが決まっていたし、今思えばゆるい日常系の漫画みたいな高校時代を送っていたものだな、と思う。

#部活の思い出

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