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2023年6月28日-7月3日のinstagramまとめ——1980年代と大塚英志(と歴史学)

 こんにちは。いつも投稿しているinstagramでは、比較的カジュアルに書けるのですが、noteは少し筆が重くなってしまいますね。あと、instagramにくらべてものすごく執筆に時間がかかってしまう……。文章を書くのは難しいなぁと思う今日この頃です。
 さて、今回のテーマは、そんなに統合的なものではないのですが、基本的には大塚英志さんの著作を中心に取り上げました。というか、6冊中5冊が大塚さんのものですね。あと、大塚さんの本でいえば、『「彼女たち」の連合赤軍』(角川文庫、2001年)とかも挙げるべきだとは思うのですが、あいにく2021年7月19日にすでに投稿してしまっているので、見送ったという次第です。

 今回のお断りですが、前回がけっこうなボリュームになってしまったので、今回はけっこうライトに済ませるつもりです。もしよろしければご笑覧ください。

今週の6冊

 以下に今週投稿した6冊を並べておきます。
①大塚英志『「おたく」の精神史——1980年代論』(星海社新書、2016年)。
②大塚英志『まんが原作・原論——理論と実践』(星海社新書、2023年)。
③大塚英志『物語消費論——「ビックリマン」の神話学』(星海社新書、2021年)。
④大塚英志『大学論——いかに教え、いかに学ぶか』(講談社現代新書、2010年)。
⑤大塚英志『アトムの命題——手塚治虫と戦後まんがの主題』(角川文庫、2009年)。
⑥清水勲『漫画の歴史』(岩波新書、1991年)。

簡単なレビュー

 以下、簡単に①-⑥について触れておきます。詳しくはinstagramの投稿を見てください。

 ①について。今回大塚さんの著作を5つ取り上げたのですが、その気持ちにさせたのは、この本を読んだからでした。この本は、漫画原作者編集者批評家、そして大学教員として、1980年代の「おたく」(このひらがな表記には大塚さんのつよいこだわりがあるようです)産業の発展に大きく寄与した大塚さんの半自叙伝かつ世相の批評(ここでいう批評とは世の中の動きにたいして言葉を与える仕事という程度の意味です)となっています。ゆえに、たいへん独特な文体が形成されていて、とても面白い一冊です。
 いま20代の人たちにとって、1980年代はもはや完全に自分たちの生活から切り離された「歴史」になっています。なんせ今から約40年前ですからね……。この失われた時代感を、ありありと捕まえようとしたとき、やはり当時の時代状況にぴたっとはまる言葉を与えた批評家の著作を読むのがてっとり早いです。90年代だと宮台真司さんとかになると思います。
 この本はもともと『諸君!』で連載されていたものが土台となっているのですが、そのときにはサブタイトルに「宮崎勤」という名前が入っていました。わたしにとっては、宮崎勤の名前は死刑が執行された2008年に、ニュースで名前を見かけたなぁというくらいの理解だったのですが、大塚さんたちの世代の人たちにとってはこの事件が、なにか切迫させるものがあったのだなというありふれた感想を抱かざるを得ません。

 ②について。星海社新書は「オタク」であったり、「サブカル」であったりというコンテンツについての本が多いですが、その傾向を牽引しているのがまさに、大塚さんの著作の多さにあると思います。新刊・復刊ふくめ、たくさん出されていますね。本書は2023年5月の新刊です。
 ③について。これは大塚さんの主著のうちのひとつであり、今後も読まれる本ではあると思います。「ビックリマンチョコ」の分析というキャッチーさも耳目を集めるところではないでしょうか。
 ところで、この本の帯に「復刊」という文字が踊っています。星海社新書の本だけではないのですが、意外と「名著」と言われるものでも「品切重版未定」というかたちで市場に出回っていない、あるいは古本価格が高騰している例がたくさんあります。見た時にできるだけ買っておくべきですね。

 ④について。これは大塚さんの大学エッセイといったところ。
 ⑤について。大塚さんは手塚治虫にかんする本をほかにも書いておられますが、この本が本格的でお求めやすいものなのかなと思います。
 ⑥について。漫画蒐集家の清水勲さんによる日本漫画の通史。漫画「批評」に近い立場をとる人は、日本漫画史の力点を手塚治虫(のみ)に求める傾向がある気がしますが、清水さんの本は、江戸・明治・大正・昭和初期のほうに力点が置かれている印象があります。批評に重点をおいたものも、歴史に重点を置いたものも、どちらにも良さがあるというバランスを取ったつもりです。


「まじめ」と「ふまじめ」の境界を探る1980年代

 『「おたく」の精神史』のなかで、個人的に好きな一節を引用したいと思います。2015年の講演に合わせて付け加えられた序章「見えない革命 外国の人たちによせて」のなかで、大塚は、自分たちが1980年代にした批評の仕事を、「単に質の悪い「冗談」」としながら

だから、ぼくがほく自身の80年代の批評を、まず何よりただの「冗談」だと語らざるを得ないのは、[1960年代の全共闘世代つまり]上の世代の「文化大革命」に対して、ぼくたち自身が、とるに足らぬサブカルチャーを現代思想というハイカルチャーのレトリックで語ってみせることで、価値の撹乱という彼らの遊びに愚かにも参画した責任があるからである。

大塚英志『「おたく」の精神史——1980年代論』星海社新書、2016年、22-23頁。

と語っています。この大塚さんの言い方は、かなり捻れたコンテクストが入っているので、一筋縄に読むと誤解が起こるのですが、大塚さんが1960年代からの学生運動、そして2000年代以降の「クールジャパン」の隆盛などの、前後の時代を含めた日本におけるサブカルチャーの歴史を引き受けようとする矜持のようなものがあるように思います。この「まじめ」な部分を捉えてはじめて、「冗談」の言葉のニュアンスにある「ふまじめ」の戦略が読めるとも言えるのかもしれません。

 「とるに足らぬサブカルチャー」を学問のフィールドに上げていく。ポップな話題を取り上げて、読者を拡大していく。「おたく」の文化と現代思想という、まったく違うジャンルをミックスさせる。大塚さんのこのような仕事の要点は、あくまでのわたしの目線からは、上で触れたような「まじめ」で「ふまじめ」な意図にあるように感じられてなりません。

 ところで、日本の歴史学においても、1980年代はたいへん興味深くて重要な時期にあたります。まず言及しなければならないのは、「社会史」のブームでしょう。二宮宏之、阿部謹也、また網野善彦などの歴史家が活躍した時代です。
 この時代は、マルクス+ウェーバーの理論をもとにした歴史学(=戦後歴史学)からの転換が図られ、民俗学、人類学、哲学、そして社会学等、周辺諸分野の知見を取り入れながら、新しい研究領域が切り開かれていきました。それまでの時代にはそれこそ、「とるに足らぬ」ものとして歴史研究の対象にならなかったものが、表舞台に登場しました。

 以上のことを鑑みれば、すくなくともわたしには、歴史学も批評も、それまでの時代には低級とされたものに光を当て、新しい読者を開拓し、そして専門分野を越境していったのが1980年代だったというように見えます。もうちょっと言うと、「まじめ」と「ふまじめ」のあわいをさぐっていたとも。

 しかしながら、ひるがえって今の状況を見ていると、なんとか殻を打ち破ろうとするこの時代の「アニマル・スピリット」は残念ながら、なくなっちゃったかなぁと思います。どちらかというと最近は、手堅く、正しい、テーマやアプローチが多いかな、と個人的には思います。この時代の著作に励まされながら、自分も頑張ろうという気になったという次第です(これはわたしの勝手なのですが笑)。


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