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64才はまだ逝くには早いよ

ついこの前、母の大動脈瘤のことを書いたばかりで、まさかまた人の生き死にについて書くなんて想像もしてなかった

昨日、夫が緊急搬送されて、重篤な病状になってしまっている

そういえば父が急死したのも64歳だった
嫌なことを思い出した

3日前まで何ともなくて元気だったから、この急展開ぶりに、焦る
3日前、「熱があるから帰って来た」
と言う夫に対して、
同居中の娘も私も
「またまた〜。ホント大袈裟なんだから」
と、大して相手にしてあげてなかった。

世の殿方には言いにくいが、概して男の人は大した熱でもないのに、重病感をアピールしてくる。

こちらは少しくらい熱があっても子どもは待ってくれないし、寝込む暇もないまま、いつの間にか病気の方から離れて行くみたいなことが恒なのに、あちら様はいつも悠々と寝ていらしゃる。

だから今回も
せめて静かに寝かせてあげようと、3人のチビ達を連れて外食に出たりして、一応気を使ってはいたけれど、大して看病とやらはしてあげていなかった

その間、実に3日間、39度近い高熱が続いていたらしい

そんなで3日めの朝
起きてきた夫が肉まんを温めて食べているのを見て、「食欲あるじゃない」
と声をかけながら、唖然としてしまった。

ものすごい勢いで手が震えているではないか
びっくりして、急いで娘に
「パパの手の震えが尋常じゃないように思うんだけど、見て!」

ところが、慌てる私と娘をよそに、本人は
「何だか、身体が痛くて、起き上がろうとするのに15分もかかったよー」

とか言って、大変なことになってる自覚があまりない

「大したことがないのに、救急車呼ぶのも申し訳ないから、救急車呼ぶ前に相談するところに電話しよう」
そんな経緯で、土曜日と言うこともあり、近くの診療所を紹介してもらい、行ってみた。

そこは発熱外来とやらで、車の中で待機して、
先生が来て、コロナの抗原検査とインフルエンザの検査をして
「どちらも陰性でしたが」
で、ちゃんちゃん。
手が震えてること、書いてるのにスルー?

ところが、帰って来た頃には、もう車から降りて歩くことがままならないくらいおかしなことになっていた。

これ、もう救急車

幸い割りと近めの大きな大学病院に運んで貰えて、
いくつかの検査をしたけど、炎症反応がえらく高い以外は何も見つからない。

本人は少し呂律がまわらないことに対して
「口の中が乾いているから」
嘘をつけ!今水飲んだばかりじゃない

歩くのが困難なことは
「肩と足の裏が痛いから」
あのね、痛いときは、イタタタってなるでしョ!
全然違うよ、その歩きかた、明らかにヨタヨタして

だいたいその虚ろな目つきはおかしいよ
「先生、何だか分からないけど、絶対におかしいんです」
ヘタしたら、このまま帰されそうな気がして、いかにいつもと違うかを必死にアピールした

そこで先生

「一番心配だった、脳に関しては何も異常はありませんでしたが、念の為に入院しますか?
ベッドの空き次第ですが」
そうです、ありがとう先生

とにかく、何でもないと嫌がる本人を抑え込み
「お願いします!」
と、取り敢えず入院出来ることになった。
そして2時間後
病院から電話が
「言動が少しおかしいので、髄膜炎の疑いがあります。これからその検査をしてよろしいでしょうか」

髄膜炎?

翌朝
やはり髄膜炎だったと連絡が来た
しかも細菌性髄膜炎でいつ重篤なことになるか分からない深刻な状態だそうだ

あのとき、救急車を呼ばずに家で様子を見ていたら?
あのとき、何もないということで、入院せずに帰されていたら?

入院した後で、看護師さんが、本人にいろいろ話しかけて下さって、辻褄の合わない話をしていることに気付いて下さったから、検査することになったけど、そのまま寝てしまっていたら?

何より、娘が救急車を呼ぶことに積極的だったけど、私だけだったら様子をみていて、手遅れになっていたことは間違いない

まだ予断を許さない状態だし、ひょっとしたら治らないかも知れないけど、今のところいろんな偶然が重なり合って、最悪の時を免れている

人は100%死ぬのはわかってはいるけど、周りが気がつくかどうかが凄く大事だと思った出来事で、
本当はこんなこと書いている場合じゃないかも知れない。
でも、ただの熱がこんな怖いことになるかも知れないことを伝えたいことと、

ひとこと

救急隊員の皆様、病院の先生、看護師の皆様
今回携わって下さった全員の方々に感謝申しあげます。

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