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木公ボンドの円盤襲来#0 ~音楽変遷~


こんにちは、皆さん。


自分、木公ボンドは現在大学に通う学生です。

成人済です。腐〇グロ✖です。

そして何より「音楽に救われてしまった人間」です。


辛い時、自分が何者なのかわからないとき、アイデンティティを求めて暗中模索していくなかで確かに道標となって、自分を引き上げ、時に寄り添ったのは間違いなくいくつかの音楽であるといえる。そして今なお音楽にしがみついて祈っている。いつか幸せになりますようにと指を組んでいる。

といった理由から動物が親に似たものを思うようなバイアスが音楽の評価にかかりがちである。しかし自分が音楽に対して何かしらの価値を付与し、決してうぬぼれずその音楽のフォロワーであることを表明していくことや、そこに付随する交流の面白さに気づいたのが最近で、徐々に幅広くなっていって、これから形になっていくものがこの円盤襲来…となると思っている。

さて、本題ですがこの話はまず自分が小学生の4年生くらいからはじめます。


第一章「衝動」

当時は何が流行っていただろうか、僕は夜10時には寝て朝6時に起きて登校時間までDSのドラクエ5(デボラが出てくるようなやつ)をしているような小学生で流行りの曲すら覚えてないですし、運動会で踊ったのは当時やっていたルーキーズのドラマ主題歌「キセキ/GReeeeN」だったと思う。さらに、歌が下手だった(’今はカラオケ採点で多少点が取れるようになっているので過去形)自分はカラオケに行ってもレパートリーがないし、家族が入れるこの曲のラップの部分(二人ふざけあった帰り道とかそんな感じのところ)だけがうまかった。

そんな程度には音楽を趣味として話すような子ではなかったしアニソンを熱唱して一人家でゲームしている子だったのだがある時車に流れているFM802からとある音楽が流れてくる「アルクアラウンド/サカナクション」だった。

なんだこれは…!ロック…?でもピアノっぽい、電子音っぽい…一体何なんだ~~~!!!と。全てが初めての音楽体験にボンド少年は度肝を抜かれたのだ。そうしてラジオから流れてくる様々な曲を集中して聞くようになった自分は親がiPhone4に買い換えることでiTunesを利用する環境が整ったりすることもあり、音楽を聴くことを楽しいと認識し始める。これがいわば第一章である。


第二章「発病」

時は平成、自分は中学二年生。ニコニコ動画にてボーカロイド楽曲が投稿され始めて4~5年ほど経った頃。自分はもちろんその沼にハマっていると同時に親が聞いていたくるりから派生してナンバーガール、スーパーカー、ASIAN KUNG-FU GENERATION、フジファブリックを聞いていた。

流行りには乗れないのではない、乗っていないのだ。とRADWIMPSONE OK ROCK[Champagne](現[Alexandros])を”あえて”聞かなかった。

その中でもONE OK ROCKから感じる陽キャの雰囲気に過敏なっており、アレを聴くのは陽キャと言い放ったりもした。

また、RADWIMPSからは陰キャの雰囲気を感じ取ってはいたものの所属学級のLINEグループを見るとヤンキーがRADWIMPSのヒット曲の代表格である「いいんですか?/RADWIMPS」をLINE MUSICの機能でホームに設定していたことから嫌悪感を抱いた。

嫌いな人間の好きなものまで嫌いになってしまう。洋楽に対してもそう。英語の授業で洋楽に目覚め、YouTubeのホームに現れる一億再生を超えるようなヒットナンバーを聞いて『洋楽いいよね~(笑)』というやつらとその音楽が嫌いになる。その癖周囲と比較して劣等感を必要以上に感じた自分はOasisThe BeatlesRed Hot Chili Peppersなどを聞くようになった(周りにいないだけでこれらのアーティストはみな世界の音楽界をけん引する方達であることには気づくのは少し後になるのだが)。そして

『俺は流行りには乗らない。わかってねえなぁ…。』
『オルタネイティブロック(超絶美麗英語発音)こそが全て。』
『俺はこの中(クラス)でも特にセンスがいいヤツだ。』
                                                       (実際の自分のTwitterでの呟きより引用)

と平気で口にするようになった。中二病を見事に重く拗らせた。


第三章「成長」

まあ誰もが通る可能性のあった道をさらに激しく踏み鳴らして歩いたボンド少年だったのだが、高校生になりラッパーを志す。本当に痛い。

当時とてつもなく流行っていたフリースタイルバトル、三連覇したR-指定、始まったフリースタイルダンジョンなど中高生が瞬く間にHIPHOPにのめり込んだように自分もそこにいた。そして人と違っていたいという気持ちも加速しており、もうテンプレのように音源が命だろとバトルヘッズからイキりヘッズに進化。地元のサイファーにも顔を出すようになりMCネームを名乗り始める。痛すぎて逆に感覚がなくなってくる。

でもそれなりに頑張ったりもした。バトルに出てちゃんと勝ったり、音源2曲ほど作らせていただいた。(その時の音源は残っているが今自分はその人達から離れているしその人達への義理もあってここでは公開はしません。)

自分で音楽を作る楽しみを経て大学に進学し、そこから離れたこともありよりdigるようになり、サブスクにも登録し、音楽全体を見渡すようになった自分はかつて痛かった名残を残したまま周りが軽音サークルに所属している環境に身を置いて、徐々に丸くなっていった。

そして仲間と同じ軽音サークルにも一年遅れで入り、ギターをはじめることでプレイヤー目線を少しずつ鍛えて今に至る。音楽を聴く、語る、演奏する楽しみをすべて経験した自分は成長したと言えるだろう。


いかがでしたか?


音楽の変遷が自分にはある。というか自分の成長の隣にはいつも音楽があって、ここには書いていないような辛いことも悲しいことのほとんどが音楽によってある程度柔らかくなり、受け入れられるようになった。

だからその経験をもって自分は「音楽に救われてしまった人間」だと思っている。

そしてその音楽について話すことを趣味として自分の看板に書いているのだからできる限りのバイアスを持たずフラットに良いものには良いと言って、自分の中で微妙な反応が得られた時にそれを言語化して論ずることは自分の感性を理性によってよりブラッシュアップしていく作業である。先にも書いたがディスクレビューを行うことで幅を広げたり、自分の”何となくいい”をより詳細にしていって形にしていきたい。そんな思いでこのマガジンを作成した。


音楽に救われた身だから音楽に恩返ししよう。

作者に届いたらいいな。

そんな淡い期待を乗せたこの円盤襲来、次回もよろしくお願いします。

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