違和感に気づかないふりをしない。

そういうもんなんだなぁ、と僕たちが無意識のうちに納得してしまっていることがたくさんある。「お察しすること」が文化として根付いている僕たちは、そういう違和感を知らないうちになかったことにしてしまっている。

なんかちょっと雰囲気が変わってしまったような感覚とか、想像していたイメージと実際にやってみたときのちがいとか、そういう違和感に対してにぶくなってしまっていることが、いつのまにか自分を苦しめていることもある。

それは自分ごとにしても当てはまることで、今していることや、これからしたいと思っていることはあなたが長い時間考えてだした答えだろうし、それがまちがっていないと、もしかするとそう信じたいだけなのかもしれない。

自分の目指すところとか、そこに向かうまでの道のりなんか、日々変化していくものだ。新しいことを知るかもしれないし、もっと楽しいほうの道があるかもしれない。進めると思っていた道の道路標識じたいが変わってしまうこともある。

だから、原因のわからないような違和感が自分のなかに芽生えていることに敏感であること、その原因を立ち止まってでも探してみること。

違和感をほったらかしにしてしまうのは少しずつ自分と心の距離を遠くしてしまうことでもある。そういう状態が続いてしまうと、いつのまにか身の回りのできごとから何も感じとることができなくなってしまう。それは長い長い道のりを目をとじたままで歩くようなものだ。

逆にいえば、違和感に敏感であることはずっと先で道が渋滞していたり、工事で通行止めになっていることにいち早くきづけることである。それは自分の進む道を考え直すために役立つかもしれないし、それは大きなビジネス・チャンスでもあるかもしれない。

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