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#3 現実を受け入れて、生きていく。そのための心理支援:大坪 政也(公認心理師)

メザニンのカウンセラーに広報室スタッフがインタビューをする本企画。
第3回はラジオプロデューサーから心理士に転身した異色のカウンセラー、大坪政也さんです。
転機やご自身のカウンセリング哲学の根幹をお聞きしました。

ー 心理師を目指そうと思ったきっかけを教えてください

埼玉生まれなんですけど、父親の仕事の都合で3歳から12歳までは西ドイツのハンブルク州にいました。まだドイツが西と東に分かれていた頃です。
ドイツと言ったらテクノですよね。日本でYMOが流行る前に、僕は学校の授業でクラフトワークの音楽で踊っていました。

そして、中学生になって日本に戻ってきた時に、本格的にローランドのシンセサイザーを買って、冨田勲とかYMOの影響を受けながら色々と音作りを始めるんです。
試行錯誤をする中で、音楽には癒しの効果があると気づいて、ニューエイジ系の音楽に傾倒していきました。

最初はただ癒しの音楽を作りたいだけだったのが、社会人になって「音楽療法」というものがあると知って、段々と心理の方に関心がスライドしていきましたね。

今も音楽は続けています。


ー 大坪カウンセラーの最初のキャリアはラジオ業界ですよね。

放送局で音楽番組を作りたいと思って、新卒で色々な所に応募したら、静岡エフエム放送(現:K-MIX)が受けに来いって言ってくださって、トントン拍子で最後まで行ったんです。

最終面接は保養所かどこかに連れて行かれて、飯食わされて、酒飲まされて、「これは試験なのか? もう受かっていてお祝いなのか? 」と思っていたら「はい、ここが会議室です。ステージありますんで一発、なんでもいいから芸やってください」って。

吉川晃司が好きだったんで、武道館に登場する最初のシーンのモノマネをやったんです。電気ショックみたいに飛び上がって歌い始めるっていうのをやったら結構ウケて。
きっとあれで良かったんだと思います。当時はファンキーな時代でしたね。

ー ラジオ業界には20年ほどいらっしゃったんですか

静岡は1年くらいで辞めているんです。
その後、東京に戻ってJ-WAVEで契約社員として番組を担当して、そこで本当の意味での番組作りの修行をしました。

その後、名古屋に外国語放送局ができるということで立ち上げに呼ばれたという感じですね。
最終的に音楽番組のプロデューサーになったんですけれど、その放送局は結局解散ということになって。
どうしようかなと思った時に、ご一緒に番組をやらせていただいていた精神科医の中村哲也院長に「うち来る?」とお声がけいただいたので「あ、じゃあ」と。

ーいきなりラジオ局のプロデューサーから心理の世界に入ったんですか?

でも僕は仕事の中でコミュニケーション能力を得てきていますからね。
結局、放送局に入った後も出しゃばってDJをやったり、インタビューを担当したりしていました。
傾聴能力はそこで鍛えていて、中村院長も僕のインタビューを聞いたことがあるし、ありがたいことに使えるかもしれないと思っていただけていたんでしょうね。

中村院長はとても面白い方です。
例えば、メンタルクリニックの待合室の椅子が全部違うんです。
なぜですか? と聞いたら「患者さんは座りたい椅子を選んで座るでしょう。一緒にしたら座りたいのかどうか分からないじゃん」って。

きちんと患者さんのことを考えているんですよね。
クライエントのことを考えていたら、自然とこうなった、という感じで。

あと、中村院長は必ず朝一番に来て、観葉植物の位置を直すんです。
待合室にいる他の患者さんとの目線が隠れてプライバシーが保てるように、ちょうどいい位置があるんですね。
相手を楽しませるエンターテイナーだなと思います。

ー アカデミックで心理学を学んでいない大坪先生はどのようにしてカウンセリングを始めたのでしょうか?

中村メンタルクリニックではもう一つ、メンタルヘルス関連の相談とカウンセリングを行う施設があります。そこで音楽療法を行なっていましたが、やっぱり音楽だけだと限界が来るんです。

ノンバーバル(非言語)では難しい、言葉を使わないとと思ってカウンセリングの勉強を始めました。
その時にたまたま出会ったのが、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』という本です。

フランクルは強制収容所に収容されたユダヤ人の一人でありながら、戦後、実存分析(ロゴ・セラピー)という心理療法を確立した心理学者でもあります。

元々精神科医だった彼は、収容所の中で人々を観察して書き溜めていたんですね。
元気な人もいれば、しんどい人もいる。それはなぜだろうか、と。
そして戦争が終わって解放されてから、それを書籍にして世界的ベストセラーになるわけです。

フランクルは体格が良かったので強制収容所で労働させられたわけです。
一方で体格が良くない人は殺される。そういうところから本の内容がスタートする。これはなかなか衝撃的でした。

死が常にそこにあるのに、生きる。
生きるということの心理学的な見地が書いてあったんです。

強制収容所はドイツやハンガリーにいくつかあるんですけれど、僕は子どもの時に見学に行っているんです。
まだ強制収容所の跡地には骨が埋まっていて、そこに土を盛っているだけなんですね。霊感がある人は霊がいるなんて言うんでしょうけれど、確かに独特な空気感がある。

『夜と霧』を読んだ時に、その時の記憶が蘇りました。

ー フランクルといえば、人生における「意味」や「意義」があることが、生きることにつながると提唱する実存主義が有名です。

欲求階層で言うと、「死ぬ」ことの欲求って本来は最下層にあって、動物的には誰しも死にたくないんですよ。
今現在の苦しみ、辛さから逃げたくて「死にたい」という表現になるんです。

現実をしっかりと受け入れて、苦しみながら、でもなんとか生きていかなきゃいけない。
でも、それもまた苦しいことだから、そのための心理支援なんですね。

僕は「現象と現実」と言っているんですが、
認知行動療法的には何か物事が起きると、そこに認知が入って、自分の脳の中で現実が作られるわけです。

しかし、何らかの要因で認知が歪んでいて、実際に起きている現象と、本人が把握している現実があまりにも乖離している状況が、いわゆる「病んでいる」状態です。

だから実際の事実をやんわりと感じさせてあげないといけない。
いきなり突きつけても、本人にはしんどくなってしまうので、自分自身で気づいていけるよう支援することが必要です。

僕自身もそうです。
夢だけを語っていても、社会では受け入れられなくなってしまう。
今の自分があるのは、お金が回ってきて、その上に立っているからです。

やっぱり現実社会に基づいて、今の自分が求められている役割が何なのか明確にしないといけないし、それに対して結果を出していかないといけないですよね。



大坪 政也
元西ドイツ ハンブルク出身。放送局のプロデューサーを経て 公認心理師へ。
精神科にて1万人以上の心理治療を行う。
三菱電機ビルソリューションズ EAPカウンセラー、リカレントメンタルヘルススクール講師。一宮駅前カウンセリング主催。

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インタビュー、執筆:メザニン広報室