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自分と向き合う時間を支える、共にいる:芹野 まり(EAPメンタルヘルスカウンセラー)

「INTERVIEW」では、カウンセリングプラットフォーム「メザニン」のカウンセラーに広報室からインタビューを行い、その”人”を掘り下げます。

リカレントのEAPメンタルヘルスカウンセラー養成講座を卒業した後、国家資格であるキャリアコンサルタントも取得した芹野カウンセラー

なぜカウンセラー、そしてEAPの学びを始めたのか。学びの中で何を得たのか。「コンプレックス」だというご自身の過去に至るまで、深くお聞きしました。

芹野 まり
EAPメンタルヘルスカウンセラー(eMC)/キャリアコンサルタント
医療機関に従事した後、現在は企業向け産業保健業務の営業コンサルに従事し、健康経営、産業衛生、メンタルヘルスなどを学ぶ。現在は企業の外部相談窓口(EAP)の相談も担当。



「EAP」がなぜ必要か、答えられなかった

—— 芹野カウンセラーは、どのようなきっかけで心理やカウンセリングに興味を持ったのでしょうか。

仕事で関わったのが始まりです。
B to Bで産業保健分野の営業をしていて、その業務のなかで「EAP(従業員支援プログラム)」という言葉を知ったんです。

私は企業様にEAPを導入していただけるように説明をしなければいけないのですが、決して広く認知されている言葉ではありません。
なので「EAPとは何か」から、総務や人事の方にご理解いただかないといけません。

でも、うまく説明ができなかったんですね。

肝心の「なぜ必要なのか」よりも、「どうやってやるの」「費用はいくらかかるの」という方法論ばかりに終始してしまう。
そういう状況に、個人的に引っかかるものがありました。

—— それで、リカレントの「EAPメンタルヘルスカウンセラー養成コース」で学ぶことを決めたのですね。

養成講座よりも、その先にある「コンサルタントコース」を受講したかったんです。

コンサルタントコースは当時の自分にとって、すごく勉強になりました。
担当講師の笠置先生は時間いっぱいまでずっとお話ししてくださる先生で、1回の授業の情報量はものすごかったです。
テキストの内容はもちろん、ご自身の具体的な経験とか、社会情勢、歴史的な経緯や出来事を交えて丁寧にお話ししてくださりました。

その分、疲労もすごかったです。

恥ずかしかった、自身のキャリア

—— 芹野さんはどんなキャリアを辿って、今に至るのですか?

実家は写真館でした。
小学生の頃から家の仕事の手伝いをしていて、土日は仕事で結婚式などに行ってカメラやビデオを撮りに行ったりしていました。
でも、土日に友達と遊べないのはすごく嫌で、高校生になってからはアルバイトを始めて手伝いに行かない理由を作っていました。

街で友達と遊んでいたら声をかけられたのがきっかけで芸能事務所に入ったりして、何も考えずに流されるがままに過ごしていました。

2〜3年くらいは芸能活動もして、当時ついていたマネージャーに紹介されて銀座のホステスでも働いていました。

最終的に11年くらい銀座にいましたね。

—— それはだいぶ意外です。

父の介護をきっかけに辞めて、実家に戻りました。

父は13年前に亡くなりましたが認知症を患って半身不随になり、ケアマネージャーさんなどにも協力してもらいながら介護に専念していました。
小さい頃に覚えていた父とは別人のようになってしまったし、私のことも分からなくなっていましたけれど、何年も実家を離れていましたので、親と過ごす時間ができて、世話まですることができて良かったと思っています。

その後は、父の介護が落ち着いて、「美容院のオープニングスタッフ募集」の広告をフリーペーパーか何かで見つけて、そこで受付の仕事を、正社員として2〜3年やっていましたね。その頃は子供が欲しくて、不妊治療をしながら働いていました。

結婚を機に東京に戻って、ウェディングも手掛けるフレンチレストランで受付の仕事をパートで始め、その次はクリニックの受付に正社員で就職することができました。
小さい頃から人に関わるのは嫌だと思っていましたが、振り返ってみると、ずっと人に関わる仕事を選んでいたようです。

—— BtoBでEAPのコンサルテーションをされている現在のお姿からだいぶ遠いですね。

こうしてインタビューでお話をしてしまいましたけれど、私は自分と向き合うことがすごく嫌でした。
自分のこれまでの経歴を恥ずかしいと思っていました。

リカレントのEAPカウンセラー養成講座の第一回授業が、「自分と向き合う」という内容だったんです。
相手の気持ちを理解するには、まず自分について知ることから始めないといけないんですね。
どんな考え方をするのか、好き嫌いの傾向など、自分を受け入れて、自分自身を理解することで、相手の言葉に揺らいでしまったり、引っ張られないようになります。

私は高卒で、大学には行ってなかったし、ずっとホステス、いわゆる水商売をしてきたし、正社員として働く経験は30代後半になってからです。

そこにコンプレックスがありましたし、何をやっても中途半端で長続きしない。

今思うと目標とか夢とか、何も考えず生きてきて、自分と向き合った時には、「17歳の時に戻ってやり直したい」と心の中で思ってばかりでした。

自分と向き合うこと

授業で過去の自分と向き合うことは凄くエネルギーを使いましたけれど、受け入れることでどこか楽になった自分もいました。
その体験は大きかったです。

こうやって自分と向き合う時間を、一人ではなくて他者と共有することの大切さを実感しました。

今度は私が、継続的に人を支援できるカウンセラーになれればいいな、と思っています。

—— モデルをやっていた頃のご自身を、いま振り返ってみてどう思いますか。

とにかく家から解放されたいという想いが強かったんだと思います。
「外に出たい」「遊びに行きたい」、そんな気持ちばかりでした。

私は7つ離れた姉がいるんです。
家ではずっと子供扱いでしたし、実際姉はしっかりしていて、全部やってくれるわけです。父の後に実家の写真屋を継いだのも姉です。

一方で私はわがままで、中途半端で、そして別に頼りにされているわけではない。

いまは、昔自由に遊んで無駄にしてしまった時間を、心理を学ぶことを通して取り戻したいのかもしれませんね。

一般的には珍しいキャリアのようなので、カウンセラーとしても意外な発想や観点があるようです。
「自分らしさ」を大事に考え、少しでも楽な生き方を一緒に考えていけるようなカウンセラーを目指して、広い視野を持って携わっていきたいと思っています。

インタビュー、撮影、文:メザニン広報室

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