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『定年ゴジラ』 重松清

以下は、重松清著『定年ゴジラ』の「文庫版のためのあとがき」より抜粋したものである。

街を歩く定年族の皆さんは、ぼくの父親の世代でもある。我が家でもその時期、実父と義父があいついで会社を定年退職していた。
観察というほど大袈裟なものではなくとも、しばらくたつと気づくこともある。どうも皆さん、失礼ながら元気がない。居心地悪そうに街を歩き、信号待ちでたたずむときなど、途方に暮れているようにさえ見えてしまう。
なぜだ――?
その問いから、『定年ゴジラ』は始まったのだ。
 (p.426-427)

10年間勤めた会社を退職したときと、コロナの影響で仕事が自宅待機となったとき、定年退職後の皆さんと同じ感覚だった。

家に、居場所が無いのだ。

起床したら、バルコニーに洗濯物が干されており、朝食が冷蔵庫に用意されている。
母は何でも自分でやらないと気が済まない性質なので、手伝うこともできない。

何せやることが無いので、起きる意味すら無い、という考えに至る。
眠くもないのに、ベッドのなかでだらだらしていると、「どんなに遅くても9時半までには起きろ!」と母に大声で叱られる。
窓、全開のまま。
外に丸聞こえ‥‥と思いつつ、身を丸くしてそそくさとベッドからおりると、隣家より「お隣の娘さん、30代半ばなのに叱られてる」と楽しそうに話す声が聞こえ、ほとほと嫌になる。
外に出るのも恥ずかしくなったではないか。

母のような鈍感力を持ち合わせていれば、どれほど生きやすいだろう。
ワイドショーを観て笑う母の姿に、安心感やら羨望やら、言いようもない感情を抱き、ため息をつく。

仕事をしていることで、自らを保っていた。
仕事が無いと考えなくていいことまで考えてしまい、どんどんマイナス思考になっていく。

まるで、蝉のぬけがらだ。
むしろ、ぬけがらとなって、風にゆられていたい――。

そう思いながら過ごしていたが、諸々のストレスが重なり、蝉の死骸のような感覚になっていった。
中身はあるのに、心が死んでいるような状態である。

どうしようもなくなり、ひとり暮らしを始めた。
起床後、洗濯・料理・掃除をする。
家事をしなければならないという日常に、救われた。

仕事も無い、
実家にいてもやることなど無い、
私は必要とされていない。

その感覚から脱することができた。
いまは、悠々自適にひとり暮らしライフを満喫している。

週に3日は、母が来るが。
今日もまた、これから母が来るらしい。

煩わしいと思うこともあるけれど、やっぱりありがたい。
昔もいまも、母親とはそういう存在なのかもしれない。

―――――

『定年ゴジラ』 重松清 講談社 2001

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