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「課長」 谷川俊太郎

「課長」
課長は恋をしていました
高校生の娘が二人いるというのにね
もちろん奥さんと奥さんのお母さんと
シャム猫とスピッツもいるというのにね
課長は朝ひげをそりながら溜息をつきます
夜テレビで野球を見ながら涙ぐみます
昼間屋上でぼんやり街を眺めます
なのに誰もそういう課長に気がつきません
恋をしていると知っているのは恋人だけ
課長の恋人も課長に恋をしているのです
 (p.339)


社長は恋をしていました
成人した娘さんが二人いるというのにね
もちろん奥さんと奥さんのお母さんと
柴犬と熱帯魚もいるというのにね
社長は朝8時30分に「好き」だと電話をくれました
昼と夜も1回ずつ「大好き」と電話をくれました
きっと大切に想ってくれていたのでしょう
なのに昼間ぼんやりと想っているのは私のほうでした
恋をしていたのは彼より私でした
社長に恋をしている社長の恋人はいつも泣きながら帰宅しました


朝7時40分 駅のホームで毎日見かける男性がいました
ベンチに座って誰かと電話をしていました
それはそれは幸せそうに
同じ場所で 同じ時間に
私の彼もこのように電話をしているのだろうか
と茶髪の男性を横目にそう思いました
しかし ある夏日からその彼の姿を見なくなりました
どちらから別れを切りだしたのだろう
と誰も座っていないベンチを横目にそう思いました
私も早く終止符をうたなければ‥‥
涙をこらえながら電車に乗りました

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「課長」 谷川俊太郎 『朝のかたち 谷川俊太郎詩集Ⅱ』(角川文庫、1985)より

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