Dialogue with myself:Uncertainty(不確実性)について

いい意味でも悪い意味でも、不確実性、というのが人生の醍醐味だと思う。
もしかしたら、誰の人生にも向かっている方向があって、
初めから決まっている道を歩いているのかもしれないけど、
歩いている本人には、どこに向かっているのか、
どこに向かうべきなのか、いつまで進み続けるのか、
どれもわからない。

生きている限り、不確実性はずっと付き纏う。
先が見えないことが不安でもあり、
先が見えないことが救いでもある。

すでに答えがそこにあったとしても、
いくつかのオプション(特に多すぎるオプション...)から
選ぶ自由を提示されれば、
まずどれを選んでいいのかわからない、という
不確実性に対して不安を覚えずにいられないし、
選んだ後も自分の選択肢が正しかったかどうか、
考え続けてしまう。

一方で、変えられるか変えられないかわからない未来に対して、
いつまでもこの状況が続くわけではない、
不確実性に対して、言うなれば"Future is an open book"(未来は白紙の本だ)という希望を見出す矛盾を孕んでいる。

だからこそ、
不確実性への向き合い方、
"わからない”との付き合い方に
その人の生き方や強さが出ると思う。

これはよく言われることだけど、
物事がすごいスピードで変わっていって、
未来がどう変容していくかわからない、
つまり不確実性の変化のスピードが
前時代より2倍速、3倍速になっているときに
不確実性を楽しめる人は強いな、と思う。

必死で食らいついていかないと置いて行かれる世の中で、
付いていきたい、と思いつつ、
マイペースに生きていきたい、という甘えた自分の方が
勝ってしまっていて、
つまりは資本主義の競争社会にうまく適合できていない、
何も役に立っていないのに、ここにいることを認めてほしい
という甘えた考えに気付かされる。

私は、いつも正解を探していて、
何が正しいのか(何が正しかったのか)を
追い求めてしまうつまらない人間で、
大多数の人と同じで、
"やってみたい"という気持ちより、
"わからない”不安がいつも大きくなって
勝ってしまう。

"わからない"不安を見て見ぬふりをするから、
正気ではいられるけど、
本当にそれでいいのかはわからない。

そういう意味では、世界も未来も不確実性にあふれているけど、
私にとっての自分も不確実性に富んでいる。
普段は何事もなく、強くたっていられるのに、
自分の地盤が弱いから、ちょっと押されただけで
崖から落ちて行ってしまいそう。
身の回りは崖なのに、普段は目もくれないから、
全然平気で生きていけるようになったけど、
何か少しでも刺激されると、落ちないように必死になって、
あまりにも不安定な状態に自分でも驚かされる。
(タロットのFoolだな。。。向こう見ずなところもあるし)

自分の答えが正解かわからないから、
外の世界に答え合わせをしてもらおうとするけど、
自分の答えとぴったりくるものはなくて、
結局どうしたらいいのかわからない。

不確実性を小さくして、失敗の大きさをコントロールすることもできるかもしれない。
けどとりあえず、今の私でやってみて、
外の世界にわたしではまだまだだめだよ、と言われてみたい気持ちもあって。
自分だけで思考を進めるのが(特に今一人でずっといて)
難しい、という局面も大いにあるかもしれないけど、
崖にぶつかって、地面に落とされて、
制限の中で一生懸命また崖を登っていく自分を見たい気持でもある。

結局いつも何がいいたいのかわからない。。。
読んでくれた人、すみません。

あなたの不確実性との向き合い方も知りたいです。

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