ウクライナ戦争とNATOの東方拡大。

 ウクライナ戦争はヨーロッパとロシアの間の地政学的な争いで、実際には14年から始まっているとみるべきで、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大がその背景にある。未だ解決にはほど遠い状況で、最近、中国も重大視するようになり、事態の打開に向けて積極的な役割を果たしたいという考えを示し、平和的な解決に向けての努力が続けられている。
 ソビエト連邦崩壊後のウクライナは、ヨーロッパ連合(EU)やNATOとの関係を深め、経済的な発展や民主化を目指してきた。一方、ロシアは安全保障と勢力圏維持の立場から、ウクライナが自国の影響から離れる問題を危惧し、軍事的な圧力をかけている。
 歴史を辿れば、話は複雑になるが、ここでは端的に問題を取り上げる。1989年から91年にかけて、ソビエト連邦が崩壊し、米国とソビエトの冷戦は終結した。この時に米ソ間で、「NATOは東方拡大をしない」の密約が交わされたが、公式には否定されている。
 この密約は90年にドイツ再統一の交渉の過程で、米国のジェームズ・ベーカー国務長官とソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長の間で結ばれたもので、NATOは旧東ドイツ以東に進出しないと約束した。
 しかし、これは書面に残されず、それ以後今日までNATOは、東欧諸国や旧ソ連の一部の国々が加盟を希望することを受け入れる姿勢を示してきた。この東方拡大は欧州の安定と統合を促進したが、一方、ロシアやその他の旧ソ連諸国には懸念が生じた。
 東方拡大によって、ロシアは米国や欧州諸国に裏切られたと受け止め、NATOに対する敵対感情を強めた。これに対して、米国や欧州諸国は密約を認めているが、ドイツ再統一に限定されたもので、NATOの東方拡大は自由と民主主義を広げる政策だと主張した。この問題は米ロ間で重要な論点となっている。
 密約は外交上の取り決めの一種で、公式には存在しないが、実際には存在するという曖昧な状態である。したがって、あると言えばあるし、ないと言えばないことになる。国際法や国内法に反する内容や、国民の反発を招く内容を含む場合に行われ、外交的な利益を得るために必要な場合もあるが、同時に、信頼関係の損失や紛争の原因となる可能性がある。
 NATOの最初の拡大でポーランド、ハンガリー、チェコが加盟した。その後バルト三国やスロベニアなどが加わり、23年4月にフィンランドが加盟し、現在は31カ国となっている。
 14年にウクライナで親欧米派が政権を樹立したことをきっかけに、ロシアがクリミア半島を併合し、東部ウクライナの分離主義勢力を支援し、対立が激化した。両者はミンスク協定などの和平合意を結んだが、実際には停戦には至らず、武力衝突や人道危機が続いていた。
 22年2月ロシア軍が侵攻し、本格的な戦争に至り、両国の間にさらに深刻な対立と不信感を生み出した。ウクライナ戦争は14年に始まったとみるべきで、多くの人々が犠牲になり、多くの難民が発生した。またウクライナだけではなく、世界の政治や経済や物流に大きな影響を与えている。

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