労働者の悲哀物語。


 昨今、わが国では働かない人や楽な仕事に就こうとする人が増え、生産業よりもサービス業が好まれる。仕事は給料よりやりがいのほうが大事というが、それにマッチした仕事が乏しいのが現実の社会である。それでも赤貧に耐えて、生きがいの一点に挑戦する人もごく希にはいる。
 むろん、ここまで荒廃に至った問題はこの25年ほど非正規社員の導入が進み、正規社員でも賃金の低下が続き、トップダウン方式やIT化による作業の単純化が普及した要因もある。
 労働格差の増大による働く人と働かない人の差は大きく、また貧富の差が拡大し過ぎて、真面目に働くのを馬鹿らしく思う人も増えた。最低賃金のフルタイムで働いても、税金や保険など考えると、生活保護より少ない収入になる。最低限暮らせる生活費は生きるに絶対条件で、老後ではなおさらである。
 一方、わが国の平均給料は30年以上400万円台を推移している。この10年間を見ると、2010年は412万円、15年421万円、20年は433万円であるが、正規社員の平均給与は496万円、非正規社員176万円となっており、両者の開きは平均給与にも影響する。
 給料の他に老後の生活の拠り所である退職金にも不安がある。03年の退職給付金額は2499万円だったが、18年には1788万円に減少した。退職金額が減った主な背景には、バブル崩壊以降の低金利によって退職積立金が少なくなっていることによる。
 また労働者の意欲という点では、入社、入職した時点では仕事にやりがい生きがいを見いだし、目は緊張と希望でキラキラと輝き、言動も敏捷であるが、半年もすると、目は冷凍サンマのように光りを失ってしまう。さらに歳月を重ねるにつれ、仕事を通じて感じる価値は減少していく。
 30代になると仕事にも馴れ、仕事に対し緩やかに価値観を失っていく。その間に同僚は少なくなっていくが、会社で地位を上げ収入を高める立身出世主義に希望を見出す人は、30代や40代の時点でも一定数いる。
 落ち込みの谷が最も深いのが50代前半である。この年齢ではこれまで価値の源泉であった今の収入や地位はいつまで続くのだろうか、自分がなぜいまの仕事をしているのか、仕事の意義はむろん、人生の意味を問うようにもなりかねない。
 60歳の定年が迫り、役職定年を迎える頃、これからの仕事と人生において何を目標にしていけばいいのか迷う人が多い。現在の政府では老後の完璧な保障は期待できない。これからは公的年金以外にも、個々に少しでも年金の確保に資するように努力する覚悟が必要となる。

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