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国際協力師になりたかった話②〜人生初の海外ボランティア編〜

こんばんは!

前回の記事から、私が国際協力師になりたかった頃のお話を記録しています。

前回の記事では私が国際協力師を目指すことになった「きっかけ」のお話をしています。今回は、人生初の海外ボランティアの経験のお話を記録します。

ぜひ最後まで読んでみてください^ ^

「世界の貧困問題を解決する」

前回の記事で紹介したエピソードから、

この思考は、いつからか私の将来の夢であり、目標であり、大袈裟に言うと使命のような存在になっていました。

高校の授業でも「 I want to help people who are suffering from serious poverty.」と、よく発表していました。

そして大学生になり、数ある海外ボランティアのサークルの中でも「大学生が海外で家を建てる」サークルに所属しました。

高校生時代、2つの部活を兼部し、さらに通学に往復2時間かかっていましたが、当時から大学生になったら自分のお金で海外ボランティアを経験してみたいと思っていたのでアルバイトをしてお金を貯めていました。

そのおかげで、派遣に必要な費用20万円を自腹で支払うことができ、18歳の夏にカンボジアで家を建てるボランティアに参加しました。

カンボジアで家を建てる

20人のメンバーと一緒についにカンボジアへ。私たちがボランティアに与えられた時間はたったの5日間。5日間で2軒のお家を建てることが私たちの使命です。

ワーク初日。ホームオーナーさん(私たちが建てた家の家主になる方々)との初めての出会い。2軒のホームオーナーさんたちは涙を流して私たちを迎えてくれました。その涙を見たときに、私たちが(大学生にとっては)大金をかけてカンボジアまで来た意味を改めて考えさせられ、この人たちのために今ここにいるんだ、絶対に家を建てきって帰ろう、とやる気に満ち溢れました。

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既に土台は出来上がった状態でしたが、ほとんど一からの作業です。

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砂利、砂、水、をバケツいっぱいに詰めて何度も何度も往復します。

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それを混ぜてセメントを作ります。日本では機械で行う工程も全て手作業で行います。

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抱えられるだけのレンガを何度も往復して運び、

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一つずつ積んでいく作業。常に35度前後の気温、そして炎天下の中での作業は体力をどんどん奪い、正直かなりきつかったです(笑)

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それでも着々と形になっていく2軒の家、そして私たちの作業を横で見守ってくれたり、一緒に作業をしてくれたり、差し入れを作ってくれたりするホームオーナーさんの存在のおかげで5日間のワークを終えることができました。

5日目のワークが終わり、私たちがバスに乗り込むとき、ホームオーナーさんたちは涙を流して何度も「ありがとう、ありがとう」と私たちの手を握って伝えてくれました。

実は、私たちが滞在している5日間で、2軒の家を建て切ることはできず、後悔の気持ちが残っていたのですが、(後日、現地のワーカーさん達が完成させてくれています)

こんなに人に感謝された経験は初めてで、私たちのおかげで目の前のホームオーナーさん達が喜んでいる姿を見ることができたことは素直に嬉しかったです。

ですが、ワーク中に私は何度かモヤモヤする場面がありました。

ボランティアは自己満足なのか

まず、わかりきっていたことですが、日本から突然やってきた技術のない私たち大学生にできることはとても少ないのです。それでも現地にいるワーカーさん(大工さん)は言葉が伝わらない状況の中でも、何度も時間をかけて一つ一つの作業工程を丁寧に説明してくれました。私たちが加わるよりもワーカーさん達だけで作業をした方が効率も良く、早く進んでいたことは確実で、カンボジアと日本の往復の航空券代10万円も現金で寄付した方が貢献できたのではないか、と思ってしまうことがありました。

次に、お昼ご飯のことです。私たちは前日に次の日にワークサイトで食べるお昼ご飯をホテルで注文し、運んできてもらっていました。サンドイッチやフライドライスなど、かなり豊富なメニューから選ぶことができ、毎日ホームオーナーさん達の側でお昼休憩をしていました。ある日、ホームオーナーさんにインタビューをする機会があり、普段の食事のことを質問した際に「お肉やお魚は高いから、主食は野菜を食べている」と教えてくれました。それを知ってから、ホームオーナーさん達は毎日隣でお肉料理やお魚料理を食べている私たちのことをどのような気持ちで見ていたのだろうか、と考えるようになりました。同じ空間にいるのに別々の食べ物を食べている。目の前にわかりやすい格差がありました。

そして、これもインタビューの際に知ったことですが、ホームオーナーさんが住んでいた家はご夫婦二人で手作業で作った家だったのです。

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どうやって二人で作ったのだろう、きっとお二人の大切な思い出がたくさん詰まっているんだろうな、寂しい気持ちもあるのかな、とつい色々なことを考えました。

確かに、今回「家が欲しい」と依頼してくださったのはホームオーナーさんご本人ですが、新しい家を建てたらホームオーナーさんは喜んでくれる、としか考えられていませんでした。きっと、ホームオーナーさん達は「楽しみ」以外の感情も抱いていたはずだと思うと、当時の私は「家を建てる」という自分の役割しか見えておらず、ホームオーナーさんに寄り添いきれていなかったのかもしれません。

ホームオーナーさん達が私たちの訪問を心から迎え入れてくれ、心から感謝してくれたこと、そして私たちがその時できることに全力で取り組んだことは間違いなく事実です。なので、悔いはありませんでしたが、「貧困」ってなんだろう、「ボランティア」ってなんだろう、と考えるようになり、「貧困」と言われる方々の生活をもっと知りたい、私も体験してみたいと思ったのです。

次のアクション

そもそも国際協力に賛否があることはわかっていたつもりです。

「ボランティアは自己満足」

「国内にも困っている人がいるのに」

「家一軒建てても世界は変わらない」

気にしていないふりをしていたけど、いつも心の何処かに引っかかっていたことを確かめるためにも、そして、これからは支援をさせていただく方にもっと寄り添えるようになるために、

大学2年の春、フィリピンの貧困地域でホームステイをすることに決めました。

無事にネクストアクションも決まり、私の人生初の海外ボランティアは幕を閉じました。ネガティブなことも書いてしまいましたが、できるだけ素直に当時の考えを記録したいと思いました。本当に本当に貴重な経験をさせていただけたことに今でも感謝しています。

次回はフィリピンの貧困地域でホームステイ編をお届けします。

ちなみに、カンボジアといえばポルポトの大量虐殺を思い浮かべる方も多いのではないしょうか。トゥールスレンやキリングフィールドに足を運んだ経験もいつか記録に残しておこうと思います。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

おやすみなさい!


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