必死になることが偉いのか

日本ではそんな風潮があるように感じる。
何かに必死になっている人を見ると本当に凄いなと思う。周りからなんと思われようが「自分の思い描く目標にたどり着いてみせる」というような強い意志を持てることがすごく羨ましい。

私は他人に必死にやっている姿を見せるのが苦手で嫌いだ。嫌いの裏側には、「出来ない自分を見せるのが恥ずかしい」という思いがあるからだ。なんの意味もないちっぽけなプライドのせいでいくつのチャンスを逃してきたのだろう。

中学3年生の県総体で、1500mに出場していた私は予選で全中の標準突破を目指していた。もうすでに標準突破していた選手に引っ張ってもらいラスト1周で「がんばれ!」と声援を貰った。「よしっ」と心の中で思い走ったがタイムはあと1秒届かなかった。

高校3年生の全国インターハイの決勝では、ピストルが鳴った瞬間ライバルが飛び出し、1000mの地点で10秒の差が着けられた。その差は一切縮まることなくゴールした。

もう少し、、いやもっとがむしゃらに走っていれば、もっと必死に走っていれば手にできたかもしれない喜びをいくつも逃してきている。
たらればの話かもしれないけれどやっぱり他には目もくれず頑張っている人は強い。

部活だったら『必死感』が出ている選手は好かれやすい。私は必死感を出したくなかったためみんなよりペースは速いが飄々とやっているように見せていた。すると指導者に「お前はそんな遅いペースでやっているのか」と言われたことがある。もがくような走り方、過呼吸になりそうなくらいの呼吸でなければいけないのか?甘えだとみなされるのだと学んだ。

古き良き日本の風潮なのか、とにかく「必死」に頑張る人が評価されやすい。必死さがないのに結果を出すと「才能があっていいな」とあたかも才能だけでここまできたように言われる。結果を出すことよりも「あの人はよく動く」「あの人はよく気がつく」と言われる人の方が周りからの評価は高い。

だから私は就職後、とにかく「いかにも頑張ってます感」を出している。すると全く能力に見合わない評価をされた。

そんな無意味な必死さは世を上手く渡っていくには必要なことなのかもしれないけれど、絶対にいつかボロが出るし大成はできないだろうな…と思っている。

必死なのが偉いのかとは思わないが、成功している人は必ず必死になっている。

私も表面上だけの必死感じゃなく、本当に必死に無我夢中になれることができたらいいなと思う。

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