走る意味

私は走ることが大好きだ。
思い出せる限りだと、小学生の時にはもう好きだった。両親や兄弟スポーツ好きだったことも関係あるかもしれないが、「走る」こと限定すると家族の誰も好きではない。でも、何故か私はいつも走り回っていた。自転車に走ってついていっていた。
高学年になると朝の6時半から行われていた「朝ランニングの会」に参加していた。

なぜそんなにも好きだったのかはいまでも分からないがとにかく走ることが好きだった。

中学・高校は陸上部に所属していたが、合宿中の「がんばるぞぉぉぉぉお」という雰囲気は苦手で、夜になると行われるミーティングで夢や目標を発言することも苦手だった。
それは、私にとって走ることは頑張るべきことではないと思っていたし、好きだから走っているだけで、目標も何もなかったからだ。

部活を卒業し、しばらくは燃え尽き症候群的なもので走っていなかったが、今はちょこちょこと走っている。私がランニング好きだと知った人は

「走ることの何が良いの?」

「なんのために走ってるの?」


聞いてくる人が結構いたりする。
この答えの正解が分からない。
気づいた時にはもう好きで意味なんて考えたことが無かったからだ。

よくよく考えてみると、
荒くなっていく呼吸、重くなってくる足の我慢を超えた時に起こるランナーズハイの現象。
ランナーズハイは脳内麻薬と言われたりもするが、これが本当に気持ちが良い。もちろん辛い・苦しいだけのときの方が多いがこれが来た時は最高だ。
自分的には「苦しいのにまだまだ走っていられる」という感覚が近い。

ここまで書いてきて思い出したが、高校生くらいまで地元で女子実業団の駅伝が行われていた。家の目の前を当時の有名選手達が走っているのを毎年ワクワクしながら見ていた。颯爽と走っていく選手はもちろん、普段は絶対に走ることが出来ない車道を走っていることに憧れていた。
高橋尚子さんや大南姉妹が好きで、本を見たりテレビのマラソン中継を見てフォームを真似していた。
これはいまでも変わることはない。人のフォームを真似して走ると色々な発見があって面白い。
高校生になってからのことだが、「この人はこういう腕振りをするから足がこう出るんだな」とか「この人は地面の捉え方が上手いから早く走れるんだな」とかその発見が楽しかった。それを取り入れて自分の走る感覚が変わっていくのも楽しかった。

私が走る理由、それは、
根性論でも精神論でも1位になりたいでもあの人に勝ちたいでもなく、ただただ自分が早く走れるようになりたいということ。
だと思う。

ただ、上で書いた走ることの意味の答えとしては伝わらなさすぎる。
「ランナーズハイはいいよ」と答えたところでそれを聞いた人が「私も走ってみようか」とはならないだろう。

気持ちよく走ることができれば悩んでいること、考えていることがバカバカしくなったり逆に考えがまとまったりポジティブなことも多い。
上手く伝えられないからとにかく走ってみて欲しいというのが本心なのかもしれない。

ランニングをしようかどうか迷っている人、一歩踏み出せない人がいたらぜひおすすめしたい。
最初はウォーキングでもいい。10分でも20分でも自分のしんど過ぎないペースでやってみて下さい。

旅行先での早朝や遠出した時など、自分の知らない土地で「あえて迷子になってみる」のもおすすめ。
スマホ片手に朝日の中を散歩やランニングをすると最高に気持ちがいい。あえて細い道を選んでみたり自分の気分で曲がる方向を決めてみたり…どんな一期一会に出会えるのかワクワクが止まらないことでしょう。
(こういうとき何故かネコをみるだけでジーンとなったり初めて見る風景にセンチメンタルな気分になったりしますよね。)

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