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発狂する女

 ある女性と話している。親しい仲ではないらしい、私たちはお互いに敬語を使っている。革張りの椅子に浅く座って向き合っているこの場所は、どうやら彼女の部屋らしい。

「母とはもう数年ほど会っていないんです」

 彼女が伏し目がちに言った。

「そうなんですか。では折角ですし会ってみましょう。その方がいい」

 私は彼女との間に置かれた机の上にノートパソコンを開いた。zoomの画面が表示され、そこに彼女の母親が映る。

「やめてください。母親の顔なんて見たくもない」

 彼女の顔は恐怖で歪んだ。「やめて。見せないで」と言う彼女に対し、私は「絶対話し合うべきです。その方がいいに決まってます」と確信をもって親子の会話を促す。

 すると彼女は立ち上がり、何事か叫びながら走って行った。「燃やしてやる」と言って、戻って来たときには大きなポリタンクを抱えていて、ドバドバとノートパソコンに向かって灯油をぶちまける。やばい、と思った。逃げるか、着火を防がなくてはならない。でないと爆発する。

 灯油を思う存分ぶっかけた女はすでに着火したマッチ棒を持っていた。逃げる余裕はない。マッチ棒が手から離れた瞬間、私はつま先でそれを蹴り遠くへやった。なんとか大火事にならずに済んだ。

 私は腰をどうにか持ち上げて出口へと走った。ドアノブに手を伸ばしたとき、荷物を置き忘れたことに気づく。回収しなければと思い再び部屋に戻ると、発狂した女が私のリュックにまで灯油をぶちまけていた。私は「やめろ。何やってんだ」と怒鳴った。リュックを奪い返そうとしたが、チャッカマンの火が灯油に触れる方が早かった。まずいと思い目を閉じる。

 しかし爆発は一向に起きなかった。慎重に目を開くと、リュックには小さな火が灯っているだけですごく熱いわけでもない。埃を落とすように直接手で火を払いリュックを背負った。発狂する女には目もくれず出口へと向かった。目が覚めた。汗をかいていた。

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