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レポートのお話。

当時。母校は10年位、毎年全国大会に連続出場していて。
私の3年上の代では、全国大会技能優秀賞を頂いていたり。
史上最弱と言われた我々の代ですら、いくつかの表彰状を頂くような。
いわゆる”強豪校”と言われる場所でした。

自分はそんな強豪校に3年間所属していて。
ほんの何枚かの賞状をいただきつつ。
大半の期間大停滞期を迎えながら過ごしていた。

その強豪校とやらは試合や練習試合が終わると翌日までにやらなければならない事があった。
それがレポートの作成だ。
お家に帰って、すぐにおやすみ…と言うわけにはいかない。
A5のルーズリーフ最低1枚分はレポートとして、試合の振り返り、反省を書いて監督に翌日までに提出しなければならなかった。
選手からマネージャー…お手伝いについていく事を許された部員、全員だ。
そうなると遠征の後はそれなりの枚数を書かなければならなくなるのは言うまでもない。

それでなくとも、普段から練習ノートは付けるように指導をされており、私も慣習に基づいて毎日の練習記録をつけていた。

流石に現在は、音楽や受験勉強の後に毎日のようにノートに書き出すのは効率が悪すぎるのでやっていないのですが。

本番と言うモノの後に、ひとり反省会を始め、言語化や文章化すると言う習慣は当時に身についたのだろう。
現在でも、いちいち何か本番と言われる場所に行った後は、よかった事と悪かった事。
その日の体調やメンタルの状態まで、気がついたら振り返りをしている自分がいる。

いい結果も、悪い結果も。
結果には全て理由があり、多少の運要素は加味しても、本当に運の問題だけで結果が確定する事はほとんどない。
負けには負けなりの理由があり、勝ちには勝ちなりの理由があるモノだ。

なので勝っても負けても、よかった事と悪かった事は書き出したり言語化して、次の対応をしするように。
…と言う事を、高校生の時に教わった。

その上で、次の指示を指導者に求めるのも1つの方法だ。

本番では出せるモノや持ってるモノを”今”やれる全力でやるしかないのだが、その後、何となく、感情に任せて思考停止する時は引退する時にやる事だと、当時からの習慣や感覚として持っている。

勝って嬉しい、負けて悔しい。
それもあるが、そんなものは私の過去の所属では二の次な空気感はあって、自分もスッカリ染まってしまっているのだな…と言う事は、当時からいろんな場面で自覚するのだ。
もちろん、結果が美しくなければ、負け惜しみ認定されてしまう事も認識した上で。。。

そして、今回も例にも漏れず電池切れで体が動かず寝込んでる間に、そのレポートとやらを作成した…はずだった。
他にできる事もなかったので仕方なく作成していたんですが……

何故かできた瞬間に消えた……データ吹っ飛んだ。。。
何故だ。

やる事は脳内に明確にあるのと、言語として外に出したからいいのだけどね…。

レポートは書きっぱなし、提出しっぱなしでは無意味なので、次はやる事をやるだけ。
次回どこまでやれるかはともかく…
日常の行動としては極めてシンプルですよね。

もう少し華やかな話だといいのですが、現実はいつでも地味でシンプルなものなのだ。

地味な1年が始まった。
そんな春のひとりごと。

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